人生とは、謎に満ちている。
その謎を解き明かしていくのがまた、楽しかったりする。
思い起こせばあれは私がまだ、物心ついたばかりの小学生の頃。
漫画か何かの全員プレゼントでもらった、おもちゃの秤。
当時の私には、「自分の物」と言えるほどのものはまだ少なく、とにかくその秤をもらったことがとても嬉しかったのを覚えている。
とにかくいつも使っていたくて、家中のものをその秤に載せて重さを測っていた。「これは何グラム?これは何グラム?」と言いながら。
おもちゃの秤なので、測れる重量などたかがしれている。
ちょっと重いものを載せると、あっという間に針は振り切れてしまう。
でもそんなことはちっとも気にならなかった。
とにかく、「重さを測って調べる」という行為自体が楽しかった。
今思えば、物の重さを知りたかったのか、秤を使いたかっただけなのか、その境界線はかなり曖昧だが、子供というものはとにかく何でも知りたがる。
「何で?何で?」と連発して、お母さんを辟易させるという話は、本当によく耳にする。
知的好奇心の原点は、ここにあるような気がする。
一つの物事に対して、何がどうなってそうなるのかを知りたくなるのは、大人も子供も関係ない。
人は大人になるにつれていろいろな経験をし、物事を理解する。
そして、日常のありふれた景色には、もう好奇心を感じなくなる。
「常識だから」
それだけの理由で、全て説明がついてしまうからである。
知らないことを知ろうとすることは、かなりの労力を要する。
人に聞く、本を読む、インターネットで調べる。それでも納得できなければ、自分で体験してみる。
それほどまでに時間と労力を使って得た答えが、自分にとって価値があるものかどうかについては、何の保証もない。
だからさらっと受け流す。
「なんだろう?」と思っても、「まあいいか。私には関係ない」で終わらせてしまう。そっちの方が楽だからである。
が、それではやっぱり楽しくない。
好奇心旺盛な人というのは、輝いて見える。
日常の「なぜ?」を見逃さず、周りの人間が予想もできないような答えを導き出す。これは一種の才能と呼べるのかもしれない。
「好奇心」という名の、答えを導き出す才能。
無邪気な子供とは違い、大人にはさまざまな感情が交差している。
羞恥心やプライド、そして時には常識と言われるものに、邪魔をされることもある。
その壁を乗り越えた時に、真の意味での「自分らしさ」というものに到達できるのかもしれない。
私の人生も、好奇心に満ちたものでありたいものである。
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コメント
>好奇心旺盛な人というのは、輝いて見える。
私も同感です。
いつも楽しそうにしてる人って、仲良くなりたいですよね。
以前の私は「何か楽しい事ないかな~」が口癖のようになってました。
でも最近は特別大した事もしてないですけど、充実してるし毎日楽しいんです(^^)
待ってるだけじゃなくて、自分で見つけなきゃ楽しい事なんて起こりませんよね。
人が楽しい事が自分にとっても楽しいとは限らないし。
投稿者 ちゃま : 2006年02月17日 12:46
子供のころのNaomiさんが、ものの重さを量るはかりで、好奇心を膨らませていった様子が良く分かります。
だから、今でも心の中に「なぜ」の気持ちを量るはかりをお持ちなんですね。納得しました。
ところで、なぜいきなり「だ・である調(常体)」なんですか?
投稿者 おかざきせんせ : 2006年02月17日 14:34
☆ちゃまさんへ☆
楽しいことって、日常の中に隠れてるんですよね。
私も最近そう思います。
確かにいつも楽しそうにしている人とは、友達になりたい(笑
楽しさのおすそわけをしてもらえそうだし。
私もそんな、周りを巻き込んで楽しめるような人になりたいです。
☆おかざきせんせへ☆
するどいツッコミ、ありがとうございます(笑
いやちょっと、新しい試みです。
というかですね、最初の書き出しが天から降ってきて、そうしたらこの「である調」でしか文章が書けませんでした(^^;
これからは時々この文体が登場することと思いますが、生暖かく見守っていてください。
投稿者 Naomi@管理人 : 2006年02月17日 19:40
