2007年12月13日
 ■  家族

加湿器のポカリ.JPG

私が仕事を終えて家に帰宅するのは、大体午後9時前後です。

午後9時といえばうちの父にとってみれば、
もうそろそろ眠る時間。
帰宅したらもうすでに寝ていた、なんてこともたまにあります。

我が家の通常の夕食時間は午後6時半なので、
午後9時頃帰ってくる私は当然のことながら、
レンジで温め直した食事を一人で食べます。

話をすることもありますが、特に何も話さないこともある。
特別仲の良い家族というわけでもない。

でもなんだろう。
家の中に、誰かがいる。
その、人の存在感だけでなんだか安心するのです。

家に帰ってくると、家族団欒が待っているわけではないけれど、
でも、ただそこにいるだけで、無条件にほっとする。
やっぱり家族っていいなぁ。

家の外には楽しいことがたくさんあるけれど、
それと同じくらい、嫌なこともたくさんある。

私もいちいち家族にそんな嫌な出来事の話はしないし、
逆に、労いの言葉をかけてもらうわけでもない。

そういうのがなくても、その存在自体が癒しになるのって、
家族だからこそ。
私はそんな私の家族を、これからも大事にしていきたいな。

と、こんなことをつらつら考えてしまうのは、
最近疲れることが多いから。
世の中はなかなか、私の思い通りには動いてくれないのです。

 

2007年10月24日
 ■  時間の長さ

和風ハンバーグ.JPG

気が付けば今年もあと2ヶ月とちょっと。
「時間が経つのが早いなぁ~」が口癖になっているような今日この頃。

先日、年に一度の健康診断に行って参りました。
去年の健康診断を思い出しながら、
あれからもう1年経ったんだぁ~と
しみじみ思ってしまいました。

そうこうしているうちに今度は
年に一度のインフルエンザの予防接種がやってきて、
年に一度の年末調整もやってきて
あっと言う間に年を越してしまいそうでちょっと恐いです。

時間は誰の前にも平等で
同じ速度で流れているはずなのに、
子供の頃とは、明らかに時間の流れる速さが違うような気がするのは私だけ?

時間の流れについていけずに、
ついつい「あれもしなきゃ」「これもしなきゃ」と
無駄に焦ってしまいます。

やりたいことはいろいろとあるのだけれど、
結構人の目を気にしてしまう私は
やり始めることに躊躇しています。

人生一度きり。
周りの雑念は無視して、
自分の思うとおりに生きていきたいなぁ。

なんてことを毎年この時期に考えているような気がします。

どちらにせよ、泣いても笑っても同じ1日。
だったらやっぱりいっぱい笑いたいので、
後悔しないように、進んでいくしかないのです。

ちなみに冒頭の写真は、
健康診断の日に後輩と食べたランチのハンバーグ。
おいしかったです♪

 

2007年08月06日
 ■  「原爆の日」に思うこと

原爆ドーム.JPG

本日8月6日は、62回目になる「原爆の日」。

いろいろと思うところはあるのだけれど、
私の少ない語彙ではうまく表現できません。
でも、つらつらと語ってみたいと思いますので、
今しばらくお付き合いください。

広島に原爆が投下された62年前、
当然私は生まれていません。

ですが、今は亡き母方の祖父は戦争経験者で(被爆はしていません)、
子供の頃はよく、戦争の話を聞かせてくれました。

学校はどこも夏休みのこの時期、
毎年8月6日は登校日でした。
児童全員が校庭に集合し、
多少時間がずれてはいましたが、
平和記念式典のラジオ放送に合わせて
黙祷を捧げていました。

その習慣は今も変わらず、
状況の許す限り、黙祷だけは捧げています。

私には、
今世界で起こっている戦争や紛争、
政治を語れるほどの知識はありませんが、
「争いは良くないこと」だとは分かります。

争いの根底にあるものはきっと、
個人の欲だとか嫉妬だとか優越感だとかの、
人間の負の感情だと思うのです。

それが周りを巻き込み、国を巻き込み、
やがては世界へと広がって戦争になってしまうのだと。

そうなってしまうと私のようなちっぽけな人間にはどうすることもできなくて、
私は私のできることをするしかないわけで。

果たして私にできることは何だろう。

優しい心や、慈しみの心を自分の中で育てて、
次の世代へそれを伝えていくこと。
それくらいしか私にはできません。

自分にできないことを
他の誰かに強いることはできません。

だからまずは自分の周りにいる人たちを大切にすること。
きっと、それほど難しいことではないと思うのです。

ここまで、駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
あなたは原爆の日、何を思いましたか?

 

2007年03月19日
 ■  才能

世の中にはいろんな才能を持っている人がいますが、「聞いている人を楽しくさせる愚痴を言うことができる才能」というものもあるのではないかと思います。

いやね、うちの会社の後輩のことなんですが。

普通愚痴って、聞いていてあまり気持ちのいいものではありませんよね?でもまさか悩んでいる当人に向かって「愚痴なんて聞きたくなーい!!」なんてことは言えませんし、そこは友人同士お互い様、時には話す側に、時には聞く側に回ったりするわけです。

でもこの後輩の愚痴は、聞いているとなぜか笑えてくる。
本人は大真面目なので笑うと怒られるのですが、とにかくなぜだかおもしろい。もともとよく喋る子なのですが、それがいつにも増してマシンガントークになるので、こっちは相槌を打つのがやっと。

この後輩の面白さは、私の少ない語彙ではうまく表現することができませんが、愚痴を楽しく言える人というのは、そうはいないんじゃないかと思います。
私なんてもう、かなり湿っぽくなりますから(^^;

「そんな才能、何か役に立つの?」と思ったそこのあなた。
立ちますとも!
自分はストレス解消できて、なおかつ聞いている周りの人を楽しくさせる。
こんなすばらしい才能は、ぜひ欲しいと思ってしまうのは私だけでしょうか・・・・。

 

2007年02月04日
 ■  貯金と私

先日フジテレビの番組「特ダネ」で、貯蓄についての特集をやっていましたが、ご覧になりましたか?

なんでも20代の独身男性の貯蓄率がうなぎのぼりらしいです。これって結構意外でした。どちらかと言うと女性のほうがその辺りはしっかりしていると思ってしまうのは、もう偏見なのかもしれませんね。

テレビで取材されていたある男性は、25歳(26歳?うろ覚えです。すみません)にしてなんと貯金が1,000万円あるとのこと。しかも2年ほどで貯めたそうで、これまた驚きです。

2年で1,000万円。
年収500万円以下の私には、どう頑張っても無理ですね(^^;

その人がやっていたのは、とりあえず財布に入れて持ち歩く現金は1,000円札1枚のみ。1日が終わってお金が余っていれば、それは全てコインカウンターに入れて貯金するというものでした。

こういうタイプの男性に、私はリアルで一度も出会ったことがないのでかなり驚きましたが、友達と飲みに行ったりしないのかとか、急に体調が悪くなって病院へ行くはめになったらどうするのかとか、「大きなお世話」的なことをついつい考えてしまいます(笑

私も一応それなりに貯金はしています。
私の場合、使わない(貯めることが目的)貯金と、使う(必要なことが分かっている大きな出費が目的)貯金を合わせると、大体収入の4割程度を貯蓄に回しています。

多いと感じるか少ないと感じるかは人によってさまざまでしょうが、少ない給料の中から(笑)必要経費(家に入れる生活費、保険料、交通費、通信費など)を差し引くと、これが私にとってはぎりぎりなのです。

私は、毎月これだけ貯金するといった月単位ではなく、年間で貯蓄計画を立てています。で、それを月割りにして毎月の貯蓄額を出しているのですが、年間目標をクリアできれば、残りのお金は好きなように使うことにしています。

あまりがちがちに毎月の出費はいくらまでに抑える、などとしてしまうと、基本的に浪費体質の私は、きっとどこかで爆発してしまうと思うのです。1年スパンで考えているので、例えば今月はちょっとカードで買い物をしすぎてしまったので、いつもより1万円少ない額しか貯金できなかったとします。でもその分次の月に1万円多く貯金すればOKなのです。

基本的にアバウトな性格の私には、このやり方が性に合っているようです(笑

将来を考えて貯蓄をするのは大切なこと。
でもそのために、今の生活を犠牲にするのはいやなのです。

欲しいものを何も買わずに、友人と食事をしたり、旅行に行ったりするのを我慢すれば本当はもっと貯金できるのかもしれません。でもそれってなんだか寂しいですよね。

人の価値観はさまざまですが、私は洋服が大好きなのでおしゃれも楽しみたいし、おいしいものもたまには食べに行きたい。予算は限られていますが、その中でなんとかやりくりして最大限にお金を活用したいと思うのです。

だからそのためのお金は毎月手元に残しています。
もちろん貯蓄をすることが何より楽しいという人もいるかと思います。
それはそれで悪いことではないですし、十人十色ですよね。

大切なのは、自分にとってどういうお金の使い方が一番有意義かを知ることです。これが分からずに、ただ人の真似をして無理な節約や貯蓄を始めても、きっと続かないと思うのです。

お金は大切ですし、限りあるものです。
いくら使わないと価値のないものとは言えども、大切に使いたいものです。

 

2007年01月29日
 ■  誰かのためにできること

誰かのためにできることって、私にもあるのでしょうか?

最近ちょっと思いやりに欠けていたなぁって、反省の日々です。
ちょっといろいろあって自分に余裕を無くしていたのが正直なところなのですが、それにしてもそれを人にぶつけていいわけはない。

本当は、「思いやりがない」なんて自分にさえも認めたくないのだけど、せめて自分に素直になれないと救いようがないと思って、素直に反省です。

あまりにも反省が過ぎると、今度は自分が嫌いになってしまうので、どうしたらいいのか考えてみました。考えても結局たいした答えは出なかったのですがとりあえず、

「この人は何をすれば喜ぶのだろう」
「この人はどんな言葉をかけれられたら嬉しいのだろう」

これをテーマに人に接してみることにしました。

まだほんの2・3日の話なのですが、これを常に頭に置いて人に接していると、気が付いたことがたくさんありました。具体的にはうまく言葉に表せないのですが、「私って、今までこんなことにも気が付かなかったのかぁ」という感じ。

全然意味が分かりませんね(笑)。すみません。

ついつい「私がどうしたいか」、「私がどう思うか」を基準に行動してしまうのですが、度を越すとただのわがままです。以前にも書きましたが、自己主張とわがままの境界線ってかなり微妙です。

思いやりの心って、決して自分を殺して相手に服従することではなくて、相手を思いやることによって自分も豊かになることなんですよね。それに気が付いただけでも良かったと思います。

いや、分かってはいたんですよ?
分かってはいたのですが、人に教えられることと、身を持って実感することには天と地ほどの差があります。遅ればせながら(ホントに遅い)、やっと本質が見えてきた感じです。

本当は、意識しなくても思いやりあふれる人になれればそれが一番なのですが、まだまだ私には訓練(?)が必要なようです。

そして、決して押し付けがましくなく、自然と「誰かのために何かをしてあげたい」と思えるようになれたら、その時はきっと本物の思いやりを身に付けているのでしょうね。

私もそんな素敵な女性になれるよう、頑張ろうと思います。

 

2007年01月22日
 ■  本と映画

本がベストセラーになると、決まって映画化が決定したりしますよね。
あれ私、あまり好きではありません。

本を読んですごく感動して、映画もさぞかし良いだろうと思って観にいくと、なんだかがっかりといったことが結構あります。

「不夜城」も「ハリーポッター」も「マディソン郡の橋」も、本はすごくおもしろかったり感動的だったりしたのですが、映画はなんだかなぁという感じ。全部映画を観に行ったんですけどね。

映画にそんなに詳しくない私が言うのも少々おこがましいのですが、なんだか展開が速すぎて無理がある感じが否めない。

本は、その中に書いてあるのは当然の事ながら、文章のみ。
人物の描写や背景など、ある程度は詳しく書いてありますが、そこから先は自分の想像の世界。書いてあることを思い描いて頭の中で組み立てて行くのが醍醐味だと思うわけです。

それに対して映画は、観るもの。決して読むものではありませんよね(字幕は別)。それはそれで良いのですが、1回本で読んでしまうと、自分の想像とのギャップがありすぎて、どうも素直に楽しめないのです。

ところで、「東京タワー」すごいですね。
映画、ドラマスペシャル、連続ドラマ。

とりあえずドラマスペシャルは観ました。
連続ドラマも、今なんとなく観ています。
映画は・・・たぶん観ません(笑

ドラマもあれはあれで、別の物だと思えば結構楽しめるのですが、やっぱり本が一番いいなぁ。まだ読んだことのない方、映画もドラマもいいのですが、本をぜひ一度読んでみて欲しいと思います。

なんだか今日は思いつくままにだらだらと書いてしまったので、まとまりのない文章になってしまいました。駄文、失礼しましたm(_"_)m

 

2007年01月15日
 ■  きっかけ

「今思い描いているのとは別の方法で、幸せになれる道を探しなさい」

って、書いてありました。

どこに書いてあったかと言うと、先日エレファントバンクを買いに行った雑貨屋さんに置いてあった本。よくありますよね?何も考えずにページを開いて、そこに今のあなたへの答えが書いてあります、とかいう類の本。あれです。

本屋で見かけると、興味本位でよく開いてみたりします。買おうとまでは思わないのだけど、見かけるとついつい開いてしまいます。いつもは「ふ~ん」くらいにしか思わないけれど、なぜかこの日のこの言葉は、ズシ~ンと響いてしまいました。

今悩みがMAXで、将来のこととか仕事のこととか、私の中では結構ヘビィなのですよ。そんなもやもやとした気持ちの時にこの言葉を目にして、なんかちょっと気持ちが救われました。

基本的に私は、物事をいろんな角度から見るのが苦手で、結構偏った見方をしてしまいます。うまく言えないけれど、自分の考え方でしか物事を考えられない。周りの人の価値観や考え方、人それぞれでそれに反対する気はないのだけれど、それを自分のものとして吸収できないんです。

柔軟性がないのかなぁ~なんて落ち込んでしまうこともあるのですが、それはそれで仕方ないと、開き直ってしまっているところもあって。

で、どうしてこの言葉で救われたのかというと、自分でもよく分かりません(^^;
ただ、「ああ、そうなんだ」と素直に思ったら、なんとなくちょっと気分が楽になりました。

ものすごく落ち込んで、友人がいくら励ましてくれても上に上がってこれない時に、全然関係ないふとした言葉や場面で元気になることってありませんか?

結局世の中の言葉や出来事って、受け取り方次第でどうとでも取れて、やっぱりなんでも自分次第なんだなって、ちょっと思いました。

この本や占いなんかもそうですが、書いてあることは抽象的なことばかりです。いろんな人が抱えている問題や自分の置かれている状況が違うので当たり前と言えば当たり前なのですが、大事なのはそれをどう捉えるかですよね。

世の中に偶然なんてものはひとつもなくて、自分の周りで起きる出来事は全て必然なんだと、昔何かの本で読んだことがあります。

だから、落ち込んだり悩んだりすることも、不満も愚痴も、私の周りで起きる出来事は全て無意味ではないんだと、ちょっとずつポジティブシンキングができるようになってきました。

私がこれから先、どんな人生を歩んで行くのかは私にも分かりませんが、ちょっと良いことあるかも。そう思える気持ちを大切に、マイペースで頑張ります(^^)

余談ですが、キムタクが出てる車のCMありますよね?
「僕はこれからどこへ行くんでしょうね~?」
「それは自分が進む方向だよ」
ってやつ。あれ、なんか好きです。

 

2006年12月09日
 ■  天性

iyashi2.jpg

最近の私の癒しは、可愛い甥っ子に会うことです(^^)

大体週に1回は姉が甥っ子を連れて遊びに来ているのですが、先週は私が風邪を引いてしまい、会えなかったのです。

久しぶりに会った(といっても2週間だぶり(^^;)甥っ子は可愛さ倍増です(笑
子供って、見ているだけでも可愛くて、何もしゃべらなくても(というかしゃべれない)、癒される存在ですよね。それが身内ならなおさら。

でも子供に限らず、一緒にいるだけで癒される存在の人っていませんか?
癒されるというか、ただ話をしているだけなのになんだか楽しくなってくる人。

「優しい」とか「明るい」とか言葉で表せるものではなくて、その人の持っている雰囲気というか、オーラというか。周りを明るくする「何か」を持っているのでしょうね。

あれって、意図してできるものではありません。
きっとその人だけが持っている天性のもの。

何か悩みを相談したら素晴らしい答えが返ってきたとか、そういうことではなく、どうでもいいようなおしゃべりをしているうちに、なんだか元気になっていた。

私もそんな風に、周りの人たちを明るく照らすような存在でありたいなぁなんて、最近すごく思うのですよ。ちょっと最近、人間関係でつまずき気味なので余計に(^^;

人ってオーラがありますよね。
良い・悪いは別にして。

私の持つオーラって、どんなものなのでしょうか?
知りたいような知りたくないような、複雑な心境です。

 

投稿者 Naomi : 個別ページ表示
2006年12月05日
 ■  自己主張とわがままの境界線

自己主張とわがままって、紙一重だと思いませんか?

ある人と、何かについての話をしていたとします。
仕事でも、プライベートでもいいのですが、その話し合いでなんらかの結論を出さなければいけない状況の時、お互いがそれぞれの意見を持っている。

「私はこう思うからこうした方がいいと思う。」
「いや私はこう思うからこうした方がいいと思う。」

お互い自分の意見が正しいと思っているので、一歩も譲らない。
本当はお互いの意見を少しずつ取り入れて、妥協案を出すのが得策なのかもしれないけれど、そうもいかない時もある。

明らかにどちらかが譲らなければいけない場合、あなたならどうしますか?

こういう時に自分の意見を押し通す人は、わがままなのでしょうか?
それとも自己主張がきちんとできる人?

大体私はこういう場合、譲ってしまう方なのですが、協調性があるといえば聞こえはいいですが、悪く言うと自己主張ができない人ということになるのでしょうか?私の場合、基本的に争いごとが苦手なので、どちらかというと後者に近いのかもしれませんが・・・。

どう考えても自分の方が間違っている時はにその意見を通すことはわがままだと思いますが、物事そんなにはっきり白黒付くことばかりではありません。

そんな時はどうしても、気が強い人(または立場が上の人)の意見が通ってしまう。そんな風に思ってしまうのは、気の弱い私のひがみなのでしょうか。

それにしても世の中理不尽なことが多すぎて、うまくいかないことばかりです。最近いろいろとあってちょっとストレスが溜まっていたので、軽く吐き出してみました(^^;

さぁ。明日から頑張ろう。

 

2006年11月23日
 ■  距離感

かれこれもう10年以上前、私が学生だった頃に同じ専門学校の友人と、2ヶ月くらい一緒に暮らしたことがあります。

親元を離れて進学した私は、最初の1年は寮に入っていました。
寮と行ってもマンションを学校が借りていて、そこに学生である私たちが学校に寮費を払って住んでいるという状況でした。

4人部屋と2人部屋とが選べたのですが、2人部屋の方は4人部屋の倍近くの寮費を払わなくてはならず、私は気が進まないながらも4人部屋を選択せざるを得ませんでした。

2DKのマンションで、各部屋に2段ベッドが置いてあって、それぞれの部屋に2人で寝るといった感じです。キッチンやお風呂は4人一緒で、食事は毎日材料だけが部屋に届いて、それを当番制で調理していました。

私が同じ部屋だった人たちはみんないい人で、喧嘩や確執などはほとんどありませんでした。でもやっぱり狭い部屋に4人暮らしというものはいろいろと不便もあり結構ストレスも溜まります。

そのせいか、1年経ったら寮を出て1人暮らしを始める学生がほとんどでした。私もそんな中の1人で、仕送りは家賃だけで、残りの生活費はアルバイトをしてやっていくからという条件で、2年目からは1Kのマンションで1人暮らしを始めました。

その時一緒に寮を出た友人がいたのですが、その友人も1人暮らしを始めることにして、新築のマンションに賃貸契約を結びました。

ただ新築ということで、まだできていなかった(笑
寮と出てから新しいマンションができるまでの間が2ヶ月ほどあったのですが、その間住むところがないということで、うちのせまいマンションで同居することになりました。

暮らし始める前はなんとも思わなかったのですよ。友人だし。
でもたった2ヶ月ほどのことなのに、次第に私は家に帰りたくなくなってしまうようになりました。

同じ学校の子だったので、家でも一緒、学校でも一緒、というふうになってしまい、その子の言動のほんの些細なことまでも鼻につくようになってしまったのです。

断っておきますが、その子の性格に問題があったわけではまったくありません。本当にいい子でみんなに好かれていて、友達もたくさんいるような子でした。

そんなある日私が家に帰ると、玄関に見慣れない靴が。
私の知らない間に、一緒に暮らしていた彼女が友人を部屋に呼んでいたのです。
彼女と私と共通の友人で、部屋に招くことは別に構わないのですが、事前に一言言って欲しかった。

そんなことが重なり、私も結構限界でした。
平気な人は平気なんでしょうが、私には友人と同居することはもう無理だと思いました。

初めから期限付きだったので、今回は当初の予定どおりなんとか同居期間を終えましたが、もっと長くなるようだったらそのまま喧嘩して追い出していたかもしれません(笑

最初にルールを決めておくべきでしたが、短い期間ということもあり、そんなことまで考えていませんでした。家族や結婚は別ですが、私が今後誰かと部屋をシェアして暮らすことは、もう2度とないと思います。

もともと友人や恋人とうまく距離感を取ることが苦手で、近づきすぎて面倒になり、離れすぎて寂しくなりの繰り返しで、ちょうどいい関係というのが私にはとても難しいことなのです。

昔に比べれば少しはましになったのですが、相変わらず第一印象はやっぱり冷たいらしいです(^^;
そんなつもりはないのですが、なかなか人に対して心が開けていないのかもしれません。

ま、それも個性ということで(?)、あまり深く考えずにやっていこうかと思っています。
あまり人に悩み相談というものをしませんが、信頼している人にはちゃんと話を聞いてもらっていますし、信頼できる人が周りにいる私は、とても恵まれていると思います。

出会ってすぐに距離感がうまく取れるかというと、そんなことは無理ですし、ぶつかりながらいろいろと理解し合えていけばいいんですものね。

人と関わることって本当に大変だと思いますが、1人では生きていけないのが人間なのです。

 

2006年11月15日
 ■  言われたことをやってみる

最近、とある女性と話をする機会がありまして・・・・

その方は、主婦であり、母であり、そして現役でばりばり仕事もしていらっしゃいます。
某企業のかなり上の方の立場にある人で、実際にお会いしてお話していると、なんとも言えないオーラが出ています。

でもとても気さくな方で、全然話しにくいなんてことはありません。
あんな風になれたらいいなぁと、私が最も憧れるタイプの女性なのです。

そして、今勤めている会社に入った当初はごくごく普通の一般社員で、その業界のことなど何も知らず、努力に努力を重ねて、今の地位まで上り詰めた、努力の人でもあるのです。

その方が言われた言葉が、記事のタイトルである「言われたことをやってみる」なのです。
分からないことがあると、分からないなりに頑張ってしまうものですが、頑張る方向が間違っていると、それは無駄な努力に終わってしまいます。

「自分のやり方」というものを確立するのも大事なことですが、まずは言われたことをやってみるというのも必要なことです。

下手にキャリアだけ長いと(私のことですが)、何か指示されても、それってやっても無駄なんじゃない?なんて、やたら上司に反抗したくなるのはなぜなのでしょう?(笑

でも初心に帰って、指示されたことをやってみる。
それがうまくいかなければ、なぜうまくいかなかったのかを考える。
この繰り返しも成功にとって欠かせないプロセスなのではないかと思います。

なんだか私にとってはものすごく説得力のあるお話で、素直にならないといけないなぁと、ちょっと反省したりしました(^^;

とりあえず行き詰ったら、「言われたことをやってみる」を合言葉に、しばらくはやってみようと思います。うまくいくかどうかは結局、自分次第なので難しいところではあるのですけどね・・・・。

 

2006年11月06日
 ■  バレーボール

世界バレーが始まってから、テレビでの放送が見れる日は画面に釘付けになってしまっています。特にバレーが好きというわけではないのですが、野球やサッカーと違って、ばんばん点数が入っていくので、その勢いに目が離せなくなってしまうのです。

さて。
特にバレーボールが好きではないと書きましたが、実は私、子供の頃近所のバレーボールクラブに所属していました。学校のクラブ活動ではなく、それとは別に行っているバレーボール教室です。

特にスポーツが好きなわけではなく、ましてやバレーボールが好きだったわけでもないのに、なぜ所属していたのかはいまだによく分かりませんが、たぶん仲の良い友達がバレーをしていたからという、そんな理由だったような気がします。

ちょうど河合選手全盛の頃で、みんなで試合を観に行ったこともありました。
今のなっては、(ただの)いい思い出で終わってしまっていますが(笑

その時のチームメイトで、今尚バレーボールを続けている人はいません。
プロになる人と、ただの趣味で終わってしまう人の違いってなんなのでしょうね?

もちろん才能や取り巻く環境も大きく影響していると思うのですが、何よりやっぱり、精神的な強さや、意志の強さなのでしょうね。

決して順風満帆な道ではないでしょうが、それでも諦めない強さっていうか。
そういうものが、今の私に一番欠けているところ。

なんかすぐに諦めちゃって、一生懸命できない理由を探している自分にふと気がつきます。
そんな自分が、たまらなく嫌なんですよね。

さすがに今からプロスポーツ選手になろうとは思いませんが(そもそも無理)、私もやりたいことを諦めずに、たった一度きりの人生を充実したものにしたいと思います。

そんなわけで少し話がそれましたが、世界バレー、かなりドキドキしながら観ています。
時々見せる柳本監督のガッツポーズもかなり好きですし(^^)

水曜日からまた、第2ラウンドが始まります。
みなさん一緒に日本を応援しましょうね♪

 

2006年10月20日
 ■  負けず嫌い

私はかなりの負けず嫌いです。
あらためてそう思い知ったのは、昨日ある人から言われた一言。

最近ちょっとした悩みがあって、とても実現の見込みがなさそうで、ほぼ諦めムードだった私。その事をその人にチラッと言ったら、返ってきた言葉がこれ。

「そんなに簡単に諦めちゃうんだ」

そう言われたら諦めるわけにはいかないでしょ?(笑

結局捨て身で頑張ってみたのですが、結果は微妙。良かったのか悪かったのかよく分かりません。というか、まだ決着は着いていないのですが。

だけど、「私は頑張った」という思いだけは心に残ったので、そういう意味ではすごくすっきりした気分です。

結果オーライという言葉があるけれど、私の場合は過程オーライ(笑
後悔はないので、良しとしましょう。

今回私の行動の原動力になったのは、何かを達成したいという気持ちよりも、「諦めるんだ」という一言に反発する気持ちの方が強かったような気がします。

もう筋金入りの負けず嫌いです(笑

そこまで見越してこの人がこの言葉を私に言ったのかどうかは分かりませんが(そうだとしたら空恐ろしい・・・)、どうやら私は、素直に頑張ってと言われるよりも、こういう言い方をされる方が、俄然やる気になってしまうようです。

うちの父も、普段は温厚で優しいのですが、実は頑固で負けず嫌い。
そんな父の血を、私は見事に受け継いでいるようです(^^;

※話の内容が特定されそうなので、微妙に言葉は変えてあります。が、ほぼこんなニュアンスの言葉です。ちなみにその人とは、いつも助けてもらっている、尊敬すべき同僚のこの人です(笑

 

2006年10月10日
 ■  迷いうさぎと小さな幸せ

私が家を出るのは、毎朝大体7時50分頃。
今日もいつもどおり、家にいる両親に「行って来ま~す」と声をかけたのですが・・・・

今日に限って何の反応もなく。

両親はいつもなら、朝食を済ませて寛いでいる時間帯。
たいがいいつも「いってらっしゃい」の声を聞けるのですが、なぜか誰も答えない。
「ん?」と思いながらも玄関を開けて外に出てみると、二人とも庭に出ていました。

「ちょっとちょっと」と手招きして私を呼ぶ母。
なんだろうと思いながら母の呼ぶ方へ行ってみると、なんと子ウサギが1匹、怯えた目で私を見ていました。

小さくて白くて、本当に可愛くて。
思わずつかまえて飼いたくなりましたが、そうもいかず。

まさか野生のウサギがこの辺りにいるはずもなく、きっと近所の誰かが飼っているものが逃げてきたのだろうという話になりました。

このウサギちゃんの行く末が気になったものの、私は電車に遅れてはいけないので、後ろ髪を引かれるような思いで、そのまま仕事に出掛けました。

ウサギのあまりの可愛さに、連休明けの憂鬱も吹き飛んで、ほのぼのした気持ちで乗り込んだいつもの満員電車。当然座れるはずもなく、立ったまま、電車の窓からいつもの見慣れた風景を見るともなく見ていました。

私が乗る駅から2つほど進んだ次の駅。
二人の兄弟らしき小学生が、電車に乗り込んできました。

ホームには駅まで付き添って来たお母さんの姿。
これから出勤なのか、スーツ姿です。

そんなお母さんに、その二人の兄弟は、電車のドアが開いているわずか1・2分の間、ずーっと手を振りながら、「バイバ~イ。お仕事頑張ってね~」といい続けていました。

3人ともすごく笑顔で、本当に幸せそうに見えました。
きっと温かくて仲良しな家族なんだろうなって思うと、自然と笑みがこぼれてきます。

動物や子供って、見ているだけで癒されるのはなぜなんでしょう?
たまに癒されない子供もいますが(笑、その純粋さゆえに、見ているこっちまで幸せのおすそわけをしてもらったような気がします。

毎日同じように見えて、微妙に違う私の日常。
いやな事もたくさんあるけれど、こんな小さな出来事でも幸せを感じることができて、私もまだまだ捨てたもんじゃないなって、ちょっと嬉しくなりました。

おかげで今日1日、良い気分で過ごせました(^^)
viva!人生。

※我が家に迷い込んで来たウサギちゃんですが、無事、うちの父がつかまえて飼い主の元に帰っていったようです。どうやって飼い主をみつけたのか母に聞いたのですが、「町内のことならなんでも知っている○○さんに聞いた」とのこと。どこにでもいますよね、そういう人(^^;

 

2006年10月08日
 ■  30代の会話

友人や家族との、何気ない日常の会話。
みなさん、どんな話をしていますか?

私は、インストラクターという仕事をしていながら、実はあまり人と話をするのが得意ではありません。私をよく知る周りの人たちは「そんなことはない」と思うかもしれませんが、実はそうなのです。

人見知りは、ほとんどしません。
でもだからと言って、話をするのが得意なわけではないのです。

そういう性格だからなのかは分かりませんが、昔から私の周りには、よくしゃべる人が集まっています。どちらかと言うと聞き役に徹する方なので、自然とそういう交友関係になるのかもしれません。

話をするのは得意ではありませんが、嫌いなわけではなく、友人や同僚とランチを食べながら他愛ない話をするのは好きで、そういう時間はとても大切だと思っています。

さすがに気の置けない仲間たちといる時には饒舌にもなりますし、あまり人には聞かせられないような会話もします(どんな内容かは内緒(笑)。

そんな他愛もない、どうでもいいような話。
昔から同じような会話をしているように見えて、実際には歳を経るごとに微妙に変化していると感じたことはありませんか?

もちろん人間環境が変われば、自分の中での最大の関心事も変わってきます。結婚や出産をしたばかりの女性ならば、今まで自分へ向いていた関心が、自然と家庭生活や子育ての方へシフトしていくのではないかと思います。

私の場合、結婚も出産もしていませんし、学生時代の2年間を除けば、その人生のほとんどを親元で暮らしています。

大きな転機といえば、入学、卒業、就職、転職くらいでしょうか。
もちろん環境が変わったばかりの頃は、新しい環境に慣れることに必死で、当然関心はそこにあります。

やがてその環境にも慣れ、毎日に落ち着きを取り戻した頃、友人たちとする会話。
20代前半の頃は恋愛、20代後半になると将来の事、そして30代になった最近では・・・・。

健康。

いやね、確かに身体は資本です。
元気でなければ何もできないし、悩んでいる時間もありません。

確かにそうなのですが、会話の中で頻繁に出てくるキーワードが「整体」とか「病院」とか「運動」とかばかりだと、なんだか一抹の寂しさを感じてしまうわけですよ。

もちろん恋愛のことも将来のことも仕事のことも、それなりに大切に考えています。でもまず出てくるのが「健康」なのです。

これってどうなのでしょう?
10代・20代の頃は、多少無理しても一晩眠ればまた元気になっていたものです。ところが30代に入るとそうはいかなくなる。

認めるのは悔しいですが、これは真実。
だからこそ、こういう会話が主流になってくるのでしょうね。

もちろんこれは私に限っての話で、世間の30代の方々はどうなのかは分かりません。20代の頃と変わらず、仕事も遊びもパワフルに楽しんでいる方もいらっしゃると思います。

会話って、その時の自分の関心事がメインになるものです。
健康であることは、それだけで素晴らしいことですが、「健康であること」だけが目的になってしまうとそれはそれで寂しいものです。

何かをしたいから健康でいたい。
常に成長し続けたいから健康でいたい。
やっぱり人って、そうあるべきだと思いますし、私もそうありたいものです。

だから電車の中で女子高生たちが、「なんか人生に疲れた」とか言っているのを聞くと、私としては寂しいわけですよ(笑

世の中の若者よ、頑張れ。
そして私も。

 

2006年10月05日
 ■  言葉ってフシギ

言葉って、本当に不思議です。
同じ意味の言葉でも、言い方によってはまったく違う感じで聞き取れたりします。

先日電車の中吊り広告でみつけた文章。

「座席の譲り合い、いつもありがとうございます」

どう思います?

これを見た時、うまいなぁと思いました。

「座席の譲り合いをお願いします」
と頼まれるよりも、先に「ありがとうございます」とお礼を言われた方が、余程効果があるような気がします。

人間先にお礼を言われてしまうと、その通りに行動しなければいけないように錯覚してしまうものです。もちろんそんな事を言われなくても、率先して座席を譲るような人にはあまり関係ないかもしれませんけどね。

最近、お店のトイレなどでもよくみかけるのですよ。
「いつもトイレを綺麗に使ってくださって、ありがとうございます」などという言葉を。

最初に考えた人、すごいですね。
なんてことを1人でちょっと考えてしまいました。

 

2006年09月26日
 ■  私の好きな歌

最近の私のお気に入りの歌は・・・

BENNIE Kのskyという歌。

アップテンポでさわやかな曲で、歌詞もとっても前向きなので、聴いていると元気が出てくるのです。

私は音楽を聴くのが好きで、車の中や通勤電車の中ではいつも聴いているのですが、特別音楽が大好きという人でなくても、お気に入りの歌って必ずあるのではないでしょうか?

失恋した時に聴きたくなる歌。
落ち込んだ時に聴きたくなる歌。
何かいいことがあった時に聴きたくなる歌。

みんな何かしら、そういう思い入れのある歌があるような気がします。

また、特に思い入れはなくても、ちょっと昔のヒットソングなどを偶然耳にすると、その時の自分の状況などが自然と心によみがえったりしてきませんか?
あ~あの頃はこんなことがあって、こんな風に感じていたなぁって。

聴く気はなくても、テレビやラジオで音楽がかかっていると、自然と耳が覚えていたりするもので、数年後に懐かしく思い出したりする。

私たちと音楽って、そんな切っても切り離せない関係なのかもしれません。

さて、冒頭のBENNIE Kですが、最近結構お気に入りです。
このskyという曲は何かのアルバム(タイトル忘れました(汗)の中に入っていたものなのですが、どうやらシングルでもあるようです。

朝通勤電車の中でこの歌を聴くと、今日も1日頑張ろうという気持ちになります。私が単純なだけかもしれませんが、音楽が人の深層心理に与える影響って、結構侮れないものがあると思うので、私は朝はできるだけ悲しい曲は聴かないようにしています。

そういう意味でもこのskyはおすすめです。
機会があれば、是非一度聴いてみてくださいね♪
朝に(笑
 

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2006年09月19日
 ■  ありがとう

最近、「ありがとう」と、心を込めて言いましたか?

「ありがとう」って、普段何気なく使うことが多いけれど、あまり心を込めていないような気がする・・・。

例えば食卓なんかで、遠くにあるお醤油を取ってもらった時に言う「ありがとう」。
仕事で、誰かに何かを頼んで、それをその通りにしてもらった時に言う「ありがとう」。

なんだか条件反射で言葉が口をついて出てしまうけれど、本当に心を込めて言っているかと問われると、ちょっと疑問かもしれない。

昨日SMAP×SMAPで、「ありがとう」という歌を聴いた。SMAPの新曲だそうで、そんなにファンでもない私はうろ覚えなのだけど、いろんな「ありがとう」をテーマにしたその歌を聴いて、ちょっと考えてみた。

日常使う「ありがとう」と、本当に心から感謝した時に使う、スペシャルな「ありがとう」という言葉。発音も意味も同じだけれど、この2つには大きな隔たりがあるように思う。

普段使い慣れている「ありがとう」。
きっと誰もが普通に使っている言葉。特に気にも留めずに発している言葉。

もしかしたら、どんな場合の「ありがとう」にも心から感謝を込めて発している人もいるかもしれないけれど、そんな人はまれなのではないだろうか?

別に感謝していないわけではない。
そうではなくて、感謝の大きさが違う。
人の気持ちを、大きい・小さいで表現してはいけないのかもしれないけれど、ちょっと例を挙げてみると、

「ちょっとそこのお醤油取ってくれない?」とお願いして、取ってもらう。
で、「ありがとう」。

こんな風景は日常よくあると思う。

そんな時に、「ありがとう、本当にありがとう!」と涙を流して感謝されたら、ちょっと引くでしょ?(笑

例えが飛躍しすぎているかもしれないけれど、つまりはそういうこと。

私も、この世に生を受けてもうすぐ32年。
この間、それなりにいろいろなことがあった。

楽しいことや嬉しいこともたくさんあったけれど、つらいことや悲しいこともやっぱりたくさんあった。
そんな時に手を差し伸べてくれた、家族や友人に心から感謝している。

でもそんな時の「ありがとう」は、結構言い辛い。
その言葉に込める気持ちが大きければ大きいほど、言い出すのが簡単ではなくなると思うのは私だけだろうか?

感謝の気持ちを伝えたくて、でも伝わらなくて、それでも絶対に伝えたくて、搾り出すように言った「ありがとう」。本当はさらっとさりげなく言いたいのに、かなり格好悪くなってしまって、でもきっとそんな時の思いは相手に伝わっている(と、信じたい)。

本当は、「ありがとう」を言う相手がいること自体が、感謝すべきことなのかもしれない。どこに感謝を向けたらいいのかはよくわからないけれど、きっとそれは、すごく幸せなことなのだと思う。

自分のことを心配してくれる人がいる。
自分のことを思ってくれている人がいる。

これに勝る力はないと、私は思います。

最近、誰かに心を込めて「ありがとう」と言いましたか?

 

2006年08月26日
 ■  お小遣い

子供の頃、いくらお小遣いをもらっていたか覚えていますか?

私の勤めているパソコン教室の生徒さんの年代は、本当にさまざま。
小学生の子供から、おじいちゃん、おばあちゃんまで幅広い世代の人たちが通ってくださっています。

で、今日、私が担当している高校生二人が、お小遣いについての会話をしていました。どうやら二人とももらっている金額は3,000円らしく、一人の子は全然足りないと言っていて、もう一人の子は充分足りると二人で熱く語っていました(^^;

もうすでにこの頃から金銭感覚の差って、生まれるのですね。
確かに高校生だとまだ親の保護下にいるので、食事はもちろんのこと、その他生活にかかる費用は親が支払うのは当たり前です。

友達と遊ぶことはあってもあまりお金ってかからないんですよね。子供の頃って。どうして大人になると「お金がないと遊べない」ってなってしまうんでしょうね。ちょっと考えてしまいました。

ちなみに私は、高校生の時すでにアルバイトをしていました。
だからアルバイトをしていない子よりも、お金は持っていたのでしょうが、その頃から浪費家の血が騒ぎ始めて(笑、貯金なんていっさいせずに、きれいに全部使っていました。
何に使ったのかは、今となってはまったく覚えていませんが・・・。

でもお金って、ないならないなりに結構なんとかなるもんです。無計画な買い物や贅沢を押さえれば、少ないお金でも豊かに暮らすことは可能です。

「お金なんていらない」とは言いません。というか言えません(笑
ですが、基本的に私はお金は使ってこそ価値のあるものと思っていますので、将来のために貯蓄をしつつ、自分が必要だと思ったものには惜しみなく使っていくつもりです。

問題は、「必要」なものと「必要ではないかもしれないけれど、とにかく欲しい」ものの見極めでしょうか・・・。ここがうまくいかず、いつも失敗ばかりしています。

自分で働いて収入を得て、それを賢く使う(または貯める)。
私の中に理想はあるのですが、ついつい誘惑に負けてしまったりしています。

でも自分のしたことに責任を持つのは他でもない自分自身です。
将来の自分が困らないよう、今の自分を楽しみつつ、お金を有効に使っていきたいものです。

ちなみに私が高校生の時にアルバイトを始めた理由は、
「お姉ちゃんのお下がりがいやだった」
ただそれだけです(^^;

 

2006年07月31日
 ■  イライラ対処法

みなさん、夏は好きですか?

私はどうもダメです。
暑いとなんだかイライラしてきてしまって、困りものです(^^;

暑いからというだけが理由ではないとは思うのですが、日頃のストレスに、暑さが拍車いるような気がします。

悲しいとか、寂しいとか、できれば避けて通りたい感情はたくさんありますが、その中でもこの「イライラ」が私は一番嫌いだったりします。

例えば悲しい時は、思いっきり泣いたら一時的にせよ、気分がすっきりします。でもこのイライラ、どうにも手のほどこしようがなく、自分の気分が元に戻るまで、ただただ時間が過ぎていくのを待つしか対処法がありません。

イライラしている時って、なぜだか分からないけれど、過去に起きたいやな出来事とか、これから起こるかもしれないいやな出来事が頭の中をぐるぐる駆け巡って、さらにイライライラ・・・。
私だけでしょうか?こんな風に感じてしまうのは。

それでも私の仕事にイライラは禁物なので、なんとか気持ちを落ち着かせる方法をいろいろと試してみたのですが、今のところうまくいっているのは、とにかく今やっていることに集中するということ。

今自分がしていることがなんであれ、とにかく集中。
そうすると、イライラを一時忘れることができます。
一時ですが(笑

簡単に気持ちを切り替えることができればそれにこしたことはないのですが、なかなかうまく行きませんね。何かいい方法があれば教えてほしいものです。

 

2006年07月08日
 ■  頑張って

「頑張って」という言葉。
普段何気なく使っているという人、結構多いのではないでしょうか。

かくいう私もそんな一人で、自分にも、自分以外の誰かに対してもよく使っています。

根が単純な私は、「頑張って」と言われると、大体において「よし。頑張ろう」と思えるのですが、その時の自分の精神状態によっては、素直にそう思えない時もあります。

頑張っているのに結果が伴わない時、頑張っても失敗してしまった時、それに追い討ちをかけるように「頑張って」と言われると、とてつもなく大きなプレッシャーになってしまい、「もう無理」と思ってしまうのです。

きっと言っている方は、自分の言葉がそんなに大きなプレッシャーになっているとは考えもしないのでしょうが、言われた方は「これ以上何をどう頑張ればいいの?」という心境になってしまいます。

この言葉の持つ本来の意味は、とても前向きなものだと思います。
でもそれを使う人、使われた人、その時の状況などによっては、言葉の意味が変わってしまいます。

ですから、安易に「頑張って」という言葉を使ってしまうと、時にそれは、人を傷つける事になってしまうので、言葉って本当に難しいものです。

人は何か重大な話をする時、悩みを相談する時やされる時などは、言葉を選んでよく考えながら話をします。ですが、他愛もない日常会話の場合、自分の発する言葉にそこまで注意を払う人は少ないのではないでしょうか?

これは私にも言えることで、友人とどうでもいいような話をする時には、ほとんど思いつくままに言葉を発しています。そんな時にはきっとほぼ無意識で使ってしまっていると思います。「頑張って」と。

励ましのつもりで発した言葉を、違う意味で受け止められるのは、なんだかすごく悲しい気持ちになってしまうのですが、それはよく考えもせず発した自分にも責任はあるわけですから、ある意味仕方のないことなのでしょう。

誰しも、自分が言われて嬉しい言葉というのがあると思います。
でもそれを言われて、嬉しい人ばかりではないということを、忘れてはいけないのです。

ついつい自分中心で物事を考えてしまいがちですが、言葉って、発する側よりも、それを受け止める側の気持ちを優先するべきなのですよね。

相手の立場に立って、その言葉を言われたら相手がどんな気持ちになるかをいつも気にかけて、適切なアドバイスや助言をする。または相槌を打つ。

言うのは簡単ですが、それを実行するとなると結構難しかったりするものです。

自分の聞きたい時に聞きたい言葉を、さらっと言ってくれる人っていませんか?
そんな心配りをさりげなくできる、そんな人間に私もなりたいものです。

言葉って本当に難しい。
私の発する言葉が、相手を傷つける武器ではなく、相手を慰めることのできる力を持てるよう、願ってやみません。

 

2006年06月14日
 ■  刺激

旅行や飲み会も好きだけれど、基本的にはおうちでゆっくり寛いでいる時間を、かなり幸せに思っている私。おまけにあまりマメな方でもないので、下手すると3週間とか、家族と仕事関係の人にしか会っていない時があったりします。

もともとそんなに寂しがりやでもなく、いつも誰かがそばにいないとダメ、というタイプでもありません。一人も時間も楽しく過ごせるし、家族と過ごす時間もそれなりに楽しい。そして、職場も特に人間関係などに悩まされることもなく、居心地よく仕事をさせてもらっています。

でもこの「居心地が良い」という状態、ちょっと危険信号です。
なぜなら、放っておくと、惰性へと限りなく近くなってしまうから。

今のままの状態をずっと続けることは、確かに楽です。
私は基本的に怠け者なので、どうやったら楽な状態を続けられるか、ついつい考えて行動してしまいます(^^;

でもたまに会う友人たちといろんな話をすることで、そんな怠け心にムチ打つことができています。自分とは違う環境に身を置いている人たちの話を聞いていると、程よい刺激を受けるんですね。

別に、芸能人の友人とか、起業した友人がいるわけではありません。
専業主婦だったり、OLだったり、フリーターだったりする、いたって一般市民な友人たちです。

でも、どんな環境にいて、どんな仕事をしていても、それぞれに身を置いている環境というものがあって、それは私とは違うのです。

それに、考え方もそれぞれ違っていて、まさに十人十色、いろんな視点でみんな物事をみています。

そんな彼や彼女たちの話を聞いていると、怠けている場合じゃないなぁ~と、私も頑張ろうと思わせてもらうことができるのです。

平穏無事な日々もいいけれど、やっぱり人生には刺激も必要なのかな。
ドキドキハラハラしっぱなしの毎日は嫌だけれど(笑、
たまに刺激を与えてくれる友人たちの存在は、私にとってとても大きなものです。

私は今まで、学校や職場で、あまり人間関係で苦労したことはありません。
周りの人たちの話を聞いていると、結構深刻な悩みを抱えている人がいたりするので、その点私はとても恵まれていると思います。

いつもいつも同じ人とばかり行動していると、確かに楽だけれど、世界がとても狭くなってしまいます。だからやっぱり、いろんな人たちと出会って、いろんな話をすることって大切なんだなと、つくづくそう思います。

もちろん、今私の周りにいてくれる人たちを大切にしながら、ですけどね。
でも私の場合、まずはもっとマメになることから始めた方がいいかもしれませんが(笑

 

2006年06月09日
 ■  感情

私はあまり「怒られた」という経験がありません。

もちろん、両親や学校の先生に怒られたことはあります。
だけど、家族に怒られるのと、家族以外の人に怒られるのって、根本的に何かが違いますし、学校の先生の場合、私個人が怒られているというよりも、複数の生徒に対して怒っているということが多かったのです。

あまり人に怒られるようなことをしない、というのが理由のひとつなのですが、それは決して間違ったことをしない、ということではなく、間違ったことをしてしまっても、怒られないように対処するという、そんな処世術だけはしっかり身につけてしまいました(^^;

これってどうなんでしょう?

確かに怒られないにこしたことはありませんが、人生時には激しく怒られて、激しく反省することも必要なのではないかと思います。

私があまり「怒り」という感情をぶつけられることながないのと同じように、私自身も人に対して、激しい感情をぶつけることがありません。

なんかね、怒鳴ったりできないんですよ。
ドラマなんかで友達同士で激しく言い合っているシーンとかありますが、あんな風に友人と喧嘩したことって、私は今まで一度もありません。

文句を言ったり愚痴を言ったりすることは、もちろんあります。
誰かに対して腹を立てたりということもあります。

でもいざその本人を目の前にすると、多少不機嫌になるにせよ、激しい言葉は私の喉元でぴたっと止まってしまいます。

その分内に抱え込んで、ストレスに変わってしまうんですけどね(^^;

その場は丸く収まるけれど、お互い言いたいことを言い合えないと、不満の元がくすぶって残ってしまうわけですから、結局解決しないままそのうちどうでもよくなってしまう。

これってあまり良いことではありませんよね。

その場はどんなに気まずくても、言いたいことを言い合って、お互い納得して仲直り。そんな風に簡単にはいかないものでしょうか?

怒る方も、怒られるほうも、どちらもいい気分ではないので、その両方とも避けてしまう。大人になるにつてれ、こんなことが増えていくような気がします。

たまには後先考えずに、自分の感情をぶつけてみたい。
密かにそんなことを考えたりするのですが、きっと私の場合、後からものすごく後悔しそうです。

人間関係って、本当に難しい。
人間みんな違うので、だからこそ軋轢が生まれたり、共感してくれることに喜びを感じたりするわけですよね。

闇があるから光が輝くのと同じように、世の中に自分とまったく同じ人間がいないからこそ、個性が際立って楽しいのかもしれませんね。

人と接すること、良いことばかりではありませんが、逆に悪いことばかりでもありません。

 

2006年06月07日
 ■  一葉の想い

「一葉の想い」というテレビ番組が好きです。

毎週火曜日の夜9時54分頃から(今だと、アテンションプリーズとブス恋の間)に、3分くらい放送している番組です。私はこれ、全国放送だと思っていたのですが、どうやらテレビ新広島だけのようです。

毎週ゲストが一人出演されていて、その人の大切な人に向けて手紙を書くというものです。手紙を書く相手は、家族だったり友人だったり、昔お世話になった人だったりします。

「ありがとう」という言葉、面と向かって言うのは照れくさいので、手紙で感謝の気持ちを伝えようというものです。

その手紙を、本人がナレーションをして読んでいくのですが、これが結構ほろりとさせるような内容ばかりなのですよ。ゲストは当然のことながら芸能関係の人たちばかりで、私とはかけ離れた生活をしているので、「あ~分かる分かる」というような共感はないものの、「ありがとう」という感謝の気持ちはきっと同じもの。

毎回結構楽しみにしています。

私、手紙って苦手です。
こうやってブログを書いたり、メールを書いたりということは、別に苦ではないのですが、いざ便箋とペンを目の前にすると、何を書いたらいいものやらわからなくなってしまうのです。

ある特定の人に対して、自分の気持ちや感じていることを言葉にするのって、私にとってはとても難しいものなのです。

携帯などでするメールって、別に短くてもいいじゃないですか?
でも真っ白な便箋を目の前にすると、ぎっしりと最後まで文字を埋めないといけないような、強迫観念が生まれてきてしまいます(笑

なので、書かなくてもいいようなことを書いて行間を埋めてみたり、逆に本当に書きたいことが書けなかったりと、なかなかうまくいきません。きっとその根底に、「相手に良く思われたい」「相手を感動させたい」という思いが隠れているからなのでしょうね。

開き直るつもりはありませんが、こういう想いって、人間誰しも持っているものだと思うし、そんなに悪いことだとも思いません。程度の問題もありますが、こういう感情から、自分を成長させることもできると思いますから。

でも心に響く手紙というのは、決して美辞麗句を並べたものではないのですよね。
下手な文章でも、本当に心をこめて書けば、きっと相手に届くはずです。

私の場合、「さぁ、心に響かせる手紙を書こう!」と思って、結果、変にギクシャクしてまうのでしょうね、(笑

たとえ不器用でも、相手の心に響く手紙を、いつの日か、書けるようになりたいものです。
いったいいつになるかは、私にも分かりまんけどね(^^;

 

投稿者 Naomi : 個別ページ表示
2006年06月03日
 ■  プロセス

何かを願う⇒計画を立てる⇒実行する⇒願いが叶う

どんな分野においても、このプロセスが王道ですよね。
着々とこの通りに物事を進めて、最後には結局何かを達成させてしまう人を、心から尊敬してしまいます。

私の場合。

何かを願う⇒願っているだけで叶わない
何かを願う⇒計画を立てずに行き当たりばったりの行動⇒失敗
何かを願う⇒計画を立てるだけ⇒結局叶わない
何かを願う⇒幸運なことに、願っているだけで叶う

大体この4つのうちのどれかです(^^;

願っているだけで、ラッキーなことにその願いが成就してしまう。
一見すごいことのように思えますが、それはあくまでビギナーズラック。
経験値が少ないので、それを次に活かせない。
いいのか悪いのか分かりません。

やっぱり物事には順序というものがあって、それなりのプロセスを踏むことは必要です。間をすっ飛ばして成就したとしても、結局は自分のためにならないような気がします。

よく言えば細かいことにこだわらない大らかな、悪く言えばいい加減で面倒くさがりな、そんな典型的なO型の性格を兼ね備えているこの私。今までいろいろなことを流れに任せて乗り切ってきました。

今まではそれでなんとかなってきたけれど、果たしてこれからは・・・?

このあたりでひとつ、仕切り直しが必要な気がします。
物事を客観的に見つめる目、冷静に分析する力、私に大きく欠けている部分です。

これらを培いつつ、何かひとつでも、どんな小さなことでもいいので、きちんとプロセスを踏んで、願いを叶えてみたいです。

だってほら、ただなんとなく叶ってしまうよりも、自分の頑張りの成果だって思えるほうが、この先もずっと頑張っていけそうではありませんか?

 

2006年05月28日
 ■  思い込み

思い込みって、あまり良い意味で使われる言葉ではありませんが、時としてすごい力を発揮してくれます。

何かにチャレンジしようとしている時に、「必ずうまくいく」と考えることはとても大切。失敗した時のことばかり考えていると、なかなか一歩を踏み出せません。

必ずしもうまくいくとは限りませんし、失敗した時の対処法を考えておくことも必要かもしれませんが、人生時には、後先考えずに突っ走らないといけない時もあります。
そんな時に明るい未来を想定することができれば、踏み出す足も軽くなるのではないでしょうか。

私の想像力(妄想力?)は果てしなく、明るい未来を想像することは結構得意です。でも同時に、暗~い未来を想像することも得意です(^^;

精神的に安定している時は、考えることも明るいことばかりなのですが、嫌なことがあったりして落ち込んでいる時には、どうしてもネガティブな考えに捉われがちです。

だから、気分がもやもやしている時には、大事な決定はしないことにしています。そんな時に実行したことって、大体が散々な結果に終わることを経験から知っていますので。

もしかしたら、「私は美人、美人、美人」と思い続けていたら、本当に美人になれるかも(なれないかも)。美人になれるかどうかは置いておいて(笑、そんな思い込みが私の力になっていることは確かです。

だからこれからも、「もしかして彼って、私のこと好きなのかも」とか、「この仕事は絶対うまくいく」なんていう思い込みは、根拠があろうとなかろうと、人に迷惑をかけない限り続けていこうと思います。

それに、「絶対だめ」って思っているよりは、「必ずうまくいく」って思っている方が、人生きっと楽しいですよ♪

 

2006年05月25日
 ■  物欲

現在の私の欲しい物ベスト3。

1位:圧力鍋
2位:ブラウンマルチクイック
3位:ホームベーカリー

基本的に、超が付くくらいの浪費家の私。
以前は、「欲しい!」と思ったら、後先考えずに一瞬で買い物をしていた。

でもさすがにそれはやっぱりまずいと思い、最近は何かを欲しいと思ったら、まずは欲しい物を全部リストアップして紙に書く、という作業を始めてみた。

物欲は果てしなく、小さな物から大きな物まで、際限なく出てくる出てくる。
そのリストを眺めて、これを全部片っ端から買っていたら、私は間違いなく破産するなと、一人ため息をついてみたりして。

そんなことをしていると、確かに欲しいけれど、絶対に必要というわけでもなく、まあ買わなくてもいいかなと思えてくるから不思議。一応今のところ、破産は免れている。

私の物欲には、波がある。

まったく何にも欲しいと思わずに、ほとんど買い物をしない時期があるかと思えば、何かに憑かれたかのように、いろんな物を次から次へと買ってしまう時期があったりする。
(日頃節約しようといろんな物を我慢しているので、その反動が出てしまう、という説もある)

そして、「欲しい」と思う物の種類にも、その時の私の精神状態がかなり如実に現れている。こういう言い方をするとちょっと大げさだが、その時私が何を思っていたか、後からリストを見返してみると一目瞭然なので、結構笑える。

ちなみに、数ヶ月前の私の欲しかった物のほとんどは、化粧品。
この頃はかなり美容モード全開だった。
まだ最近のことなので、よく覚えている。

そして今はご覧の通り、料理モード全開なのである。
熱しやすく冷めやすい自分の性格をよく分かっているから、買うのを躊躇してしまうということもあるのだけど、私が今一番欲しい圧力鍋なんてのは、ホームセンターなどで5,000円もあれば買えてしまうもの。

「だったら買ってしまえ!」と囁く内なる声が聞こえなくもないのだが、躊躇してしまう理由がもう一つ。

それは、普通の鍋で代用可能だということ。
だったら別に買わなくてもいいのでは?なんて思ってしまい、今に至っているのだけれど・・・。

ちなみに2位のブラウン マルチクイックとは、フードプロセッサーとハンドミキサーがひとつになったスグレモノ。これだけなぜかメーカー指定(笑

結局欲しい欲しいと言いながらも、買わないような予感がするのはなぜだろう。誕生日が近くなったら、周りの人にアピールしてみようかななんて、ヨコシマな考えが浮かんでみたりして(笑

でも、世の中には物欲があまりない人というのも存在する。私の友人にもそんな子がいて、特にこれが欲しいとか、あまり思わないそうである。

それが羨ましいかというと、そうでもない。
欲しかった物が手に入った時の喜びというのも、私にとっては捨てがたいものなのである。

自分の欲しい物のために、お金を貯めて貯めて、そしてとびきり上等なものを手にする。
これがきっと、買い物の醍醐味なんだと思う。

そして私は今日も考える。
圧力鍋を買うべきか、買わないべきか。
私の悩みと物欲は、果てしないのである・・・。

 

2006年05月23日
 ■  限りある時間

限りある大切な時間、本当に大切なことのために使っていますか?

ここで言う大切なこととは、自分にとって大切なことという意味。
他の誰かにとっては無意味なことでも、自分が大切だと思えばそれは、大切なことなのです。

最近、「忙しい」「時間がない」という言い訳をよくしています。
誰に対しての言い訳かというと、自分に対しての言い訳なのですが・・・。

やりたいこと、やるべきことがたくさんあるのに、どうもうまくこなせていません。
「忙しい、忙しい」と、いつも言っているような人間にはなりたくありませんが、無意識のうちに、言ってしまっていることがよくあります。

「時間がない」と言っている人ほど、実は時間があったりします。
要するに、時間の使い方が下手なんだと思います。

最近どうも、時間がないと思いながらも、どうでもいいようなことに多くの時間を使ってしまいます。やりたいことは他にあるのに、だらだらとネットサーフィンをしてみたり。

本来ならできていたはずのことが出来ていたいので、それがストレスになってしまい、悪循環です。

でも、本当に自分の好きなこと、やりたいことというのは、どんなに時間がなくてもきっとなんとかしてすると思うんですよね。だから、「やりたいのに時間がなくてできない」と思い込んでいることのほとんどは、純粋に「やりたい!」と思っているのではなくて、義務感を感じているのではないかと、最近思います。

この義務感ってのが私は苦手で、「やらないといけない」と思えば思うほど、やりたくな~いって思ってしまう、なんともあまのじゃくな性格を私はしています(^^;

人生やりたいことだけやって生きていければそれにこしたことはないのですが、やっぱりそうもいきません。優先順位をきちんとつけて、時には自分を律することも必要です。

ここで大切なのが、達成可能な計画を立てること。
例えば仕事が終わって帰宅し、その後自分の自由になる時間が3時間しかないとします。そこに5時間分の計画を詰め込んでもできるわけはありません。

基本的に私は、手帳にその日にすることを書き留めておくようにしているのですが、それでも見たいテレビがある日もあれば、疲れて帰ってきてなんにもしたくない日もやっぱりあります。

そんな時はなんにもしません(笑

時々休みながら、時々一生懸命。
これがストレスを溜めない一番の方法かもしれません。

常に全力投球。
これができればどんなことでも出来るのかもしれませんが、私には少々難しいようです。

時々は休みながら、限りある時間を有意義に使っていければ、それが一番ですね。
私はそう思います。

 

2006年05月19日
 ■  心のフィルター

私の使っているデジカメは、オリンパスのCAMEDIA DIGITAL600。600万画素で、それなりの機能もついています。

でもイマイチ、写真が綺麗に撮れません。

いろんなブログやサイトを見ていると、同じような機能で、同じような画素数のデジカメを使用しているのに、写真がものすごく綺麗に撮れているところがたくさんあります。もちろんレタッチなどをされているのでしょうが、特にお料理ブログなんかをされている人は、本当に綺麗に写真を撮られています。

写真って、カメラの機能だけではなく、写真を撮る人の腕、光の加減、構図などによって、同じものを同じ条件で撮影しても、撮る人によって違いが出てきます。

それに、旅行などへ出掛けて、感動するくらい綺麗な景色に出会ったとします。それを写真に撮影して、いざ出来上がってきたものを見てみると、「なんだか違う」なんて思ったことありませんか?

実際にはすごく綺麗な景色が、写真にしてみるとそうでもないのはどうして?
どうしたら写真をうまく撮影することができるのだろう。
そんな疑問を、家がカメラ屋さんを経営している同僚に投げかけてみました。
すると、その同僚の友人が以前言っていた言葉を教えてくれました。

「人は感動する景色を目にすると、心のフィルターを通して見てしまう。例えばその時の気温、暑いとか涼しいとか。例えばその時の心理状況、幸せだったとか、苦しかったとか。それに風景って、友人と一緒だったとか恋人と一緒だったとか、その時の自分を取り巻く環境をひっくるめて五感で感じるものだから、旅行から帰って来て、その景色を見たときとまったく違う状況で写真を見ると、違うものに見えてしまう」

のだそうです。

写真は、見る人によっても変わってきます。
その写真を見て感動する人もいれば、逆に何も感じない人もいます。

でもできるだけ、自分の感じた感動を写真にも閉じ込めて、後で綺麗だったね~なんて、思い出したりしたいものです。

で、肝心の写真をうまく撮影する方法は?

「構図」

どうやったら、構図を取るのがうまくなる?

「センスの問題」

結局行き着くところはそこですか(^^;

そうなんですよね。
綺麗な写真って、必ずしも対象物自体が正面を向いていなかったり、全部写真の中に入っていなかったりします。

素敵な写真を見て、「あぁ~センスいいな~」と、センスの良さを見極める力はあっても、それを再現する力が私にはありません。
残るはレタッチ能力ですが、それすら怪しいものです。

とりあえず、自分の持っているデジカメを知ることから始めてみたいと思います。
私はきっと、持っているデジカメの機能の半分も使っていないですから。

本当はオートではなく、露出がどうとか絞りがどうとか、いろいろやってみたいのですが、この言葉の意味すら理解できていないのが現状です。

写真撮影素人の私にはまだまだ敷居が高いと思うので、まずはオート機能をいろいろ使いこなすところから始めた方が良さそうです。

えっと、セルフタイマーってどうやるんだっけ・・・。

 

投稿者 Naomi : 個別ページ表示
2006年05月12日
 ■  人の味覚

最近よく思うこと。
なんで味覚って、人それぞれ違うんだろう?

今までは「それが当たり前」だと思っていたので、特に気にすることもなく過ごしていたのだけれど、最近よく思います。

COOKPADというサイトでは、個人のレシピがたくさん紹介されています。
そのレシピについてコメントを書き込む欄があって、「おいしかった」というコメントがたくさんあり、なおかつ写真を見ても本当においしそう。

で、そのレシピ通り、作ってみるわけですよ。
でもなんかイマイチ。

私の料理の腕は置いておくとして、どうも味が濃すぎたり薄すぎたりして、「旨い!」というものになかなか巡りあえません。

これってやっぱり味覚の違いも影響していると思います。
小さい頃から慣れ親しんできた、「我が家の味」がやっぱり基本。

毎日毎日同じものを食べている家族。
夫婦の味覚は同じにならないかもしれないけれど、親子だと、やっぱり同じような嗜好になるような気がします。

しかし、アレルギーは置いておいて、なぜ嫌いな食べものというものが出てくるんだろう?同じものを食べて「旨い!」と思う人と「不味い!」と思う人がいるのはどうしてなんしょうね。同じ味なのに。

かくいう私は肉類全般と貝類がまったくダメです。
お肉は、鶏肉と挽肉以外は食べられません。
貝類に至っては、たぶんこの先一生食べることはないと思います(笑
そこまで言い切れます。

この好き嫌い、克服したいと思っているのですよ。
なんでもおいしそうに食べられる人って、それだけ人生の楽しみが多いような気がします。

私の場合、もともと胃腸があまり丈夫ではないので、ちょっとでも変わったものを食べると、すぐにお腹が痛くなってしまいます。だから海外グルメツアーとか、恐くて行けないのです(^^;

自分で作れば少しは克服できるかと思って、作ろう作ろうといつも思っているのですが、未だに挑戦していません。だから私が作る食事は、魚・鶏肉・挽肉のどれかです(^^;

だからこの好き嫌いを克服することと、数あるレシピを「我が家の味」にアレンジすることが、今の私の「食」の課題です。凝り性だから結構ハマってしまうのですが、同時に飽き性なのでいつまで続くかわかりませんが(^^;

でも人間、食べることからは逃れられません(逃れたくもないけど)。1日3食は必ず必要なわけで、だったらおいしいものをやっぱり食べたい。

今年も残すところ、あと半分とちょっと。
こうなったら「食」をとことん追及してみたいと思います。

 

2006年05月10日
 ■  願いは叶う

願いがひとつ、叶いました。

誰かに話すほどもないくらい小さなものですが、私の願いがひとつ、叶いました。
なんだかちょっと嬉しくて、幸せな気分です。

「絶対叶えたい!」と強く思っていたことではなく、「こうなればいいな~」くらいの気持ちでいたのですが、あっさりと実現してしまいました。

最近とあることを始めたのですが、それがきっかけで話がとんとん拍子に広がって、理想が現実のものとなりました。別にそれを始めたのは、その願いを叶えたかったわけではなくて、ただなんとなくやり始めたことなのですが、案外それが良かったのかもしれません。

私は結構頑固なところがあって、「こうするためにはこれをしなければいけない」なんて、一人で思い込んでしまうところがあるのです。他の方法があるなんてあまり考えずに、力を入れて突っ走ってしまうものだから、どうもぎくしゃくしてうまくいかないんですよね。

「どうしても叶えたい」と強く思えば思うほど、当然思いいれも強くなるわけだから、力が入るのもある意味仕方がないのですが、ちょっとリラックスしてみようかなぁなんて、思い始めました。

願いを叶えることの最大の妨害は、「たぶん無理だと思う」「どうせやっても意味ないし」なんて思ってしまい、逃げ道を作ってしまう弱い心。

失敗したときのことを考えて、ついつい自分で自分の動きにストップをかけてしまうこと、ありますよね。そんな心を持つ自分、他の誰よりも強く、理想を実現したいと思っている自分自身が、一番の障害となっているのです。

「強く願えば、どんなことでも叶う」
半分が真実で、半分が慰め。

この言葉をどちらで受け止めるかで、おのずと結果は変わってきます。
私は真実だと思いたい。

そして私には今、もうひとつ叶えたいことがあります。
「よっしゃ!」って、気合を入れてしまうとなんだか空回りしそうなので、ちょっとスローダウンして、「あれ?もしかして願いが叶っちゃった?」って、後から思えるように、自然に行動に移していこうと思います。

そして、
「強く願えば、どんなことでも叶う」
この言葉って真実だったんだって、しみじみ言えるようになりたいものです。

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2006年05月03日
 ■  身の丈に合った暮らし

「身の丈に合った暮らし」という言葉が、私はあまり好きではありません。

「身の丈に合ったくらし」とは、分相応な暮らし、自分の収入に見合った暮らし、というふうに使われることがとても多い言葉です。

言葉自体の持つ意味はとても意義があり、素晴らしいものだと思いますし、私もその通りだと思います。

ですが、どうも自分を卑下しているようで、私はあまり使いたくありません。なんだか自分で自分の可能性を否定しているような気がしてきませんか?

例えば、支払えもしないのに無理してローンを組んだり、月収の3倍もするようなブランド品を買ってみたりということは、確かに賢い選択とは言えません。
「身の丈に合わない」買い物なのかもしれません。

何か商品を買う時には、それを手に入れた後で支払いをする方法(例えばローンなど)と、支払いをしてから手に入れる方法(それを買うためにお金を貯める)との2種類があります。

一般的に前者の場合は「無駄遣い」と言われて非難され、後者の場合は「計画的」と言われて誉められるケースが多いように思います。(もちろん例外はあります)

はて、なぜでしょう?
同じ商品を購入し、同じ金額を支払っているのにもかかわらず(とりあえず金利は無視します)、その支払い方法によって「身の丈に合う・合わない」が変わってくるのです。

私が思うに、商品を購入する時に、それを買えるだけのお金を手にしていれば、それは自分の収入の範囲内の買い物ということになり、「身の丈にあった」買い物になるのではないでしょうか。

確かに何か欲しいものがあって、毎月少しずつ頑張ってお金を貯めて、実際にそれを手にしたときは、何とも言えない達成感を感じたりするものです。

対して、もうすでに手に入れてしまったものの支払いを毎月続けることは、なんだか無駄な支払いをしているように錯覚してしまいます。自分が手にした物のことなど忘れて。

私は子供の頃から、結構な浪費家でした。
お小遣いなんて、もらった瞬間一気にぱぁーっと使ってしまうタイプ。
それでよく両親に怒られていました。
「身の丈にあった使い方をしなさい」と。

だからこの言葉が嫌いなのかもしれません(^^;

今はどうかと言うと、随分出費を抑えるようにはなりましたが、根本的にはこの性質が根強く残っているようです(^^;

お金がない時は買わない。
どうしても欲しいものがある時には、まずそれを買えるだけのお金を貯めてから買う。

この2つが基本でしょうね。

毎月毎月一生懸命お金を貯めて手に入れた物は、それだけ思い入れも強く、手に入れた後も大切に使っていくものだと思います。

自分のためにも、「物」のためにも、とても有意義な買い物です。

ですがやっぱり「身の丈に合った暮らし」という言葉は使いたくありません。
なのでそうですね、「自分に優しい暮らし」とでも言っておきましょうか・・・。

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2006年04月22日
 ■  スーパーの誘惑

最近の私、スーパーの誘惑と戦っています(笑

夕飯を作るようになってから、以前よりスーパーへ買い物に行く機会が増えたのですが、日々誘惑と戦っています。スーパーって、どうしてあんなに魅力的なのでしょうか。

冷蔵庫のあり合わせで何かを作るなどという高度なワザはまだできないため、献立を考えてから足りない食材を買いにいくのですが、ついついいらないものまで買いそうになってしまいます。

食費の節約などを考えられるレベルではないので、値段のことはあまり気にしていないのですが、それでも「広告の品」とか書いてあると、「ああ、きっと安いのね」と無条件に信じて買いそうになってしまいます(笑

安い品物が例えば洗剤なんかだと、どれくらい安いのかなんとなく分かるのですが、生鮮食品などは、全部グラムで値段が書いてあるんですよね・・・。

赤字で「98円」とかでーんと書いてあるその隣に、小さく「100g」とか書いてあります。「98円?安い!」と思ってパックを手に取ってみると、300gとか入っているわけですよ(^^;

毎日食事の支度をしているスーパーな主婦の方たちは、たぶん慣れていて、それがどのくらい安いのか、高いのか、別のお店の方がもっと安いのか、などということが分かると思うのですが、未熟者の私にはさっぱりわかりません。

コンビニと違ってスーパーって、毎日何かしら安くなっているのですよね。冷凍食品だったり、お菓子だったり、賞味期限ぎりぎりの食品だったり。

元来買い物好きの私(バーゲンも大好き!)、そういう商品が陳列している棚の前を素通りするのは至難の業です(笑

そういえば、スーパーに限らず、コンビニや雑貨屋さんでもそうですが、レジの近くに小物とかお菓子とか置いていますよね?あれって、「ついで買い」の心理を利用した陳列なのだそうですが、それともうひとつ、万引き防止の役割もあるようです。
小売業も色々大変なのですね(^^;

でも、「安くて質の高い商品」を見極めることって、すごく難しいです。
100円ショップが良い例です。
100円だからといって、安いと思ってなんでもかんでも買っていたら、実はスーパーの方が安かった、なんてこともよくあります。

また例えば、ある商品、なんでもいいのですが、とりあえず辛子明太子とします。(理由:単に私が今食べたいから(笑)
この辛子明太子が、100円ショップで300円で売られていたとします。

他の商品は全て100円。
それなのに、辛子明太子だけが300円。
「高い」と思ってきっと私は買わないと思います。

でも、違うお店で同じ辛子明太子が500円で売られていたとします。
そのお店の商品は全て1,000円。
それなのに、辛子明太子だけが500円。
たぶん私買います(笑

100円の商品に囲まれた300円の商品と、1,000円の商品に囲まれた500円の商品。
500円の商品の方がお得だと、ついつい錯覚してしまいます。

たぶんこの買い物で失敗しないのは、辛子明太子の相場が大体どのくらいで、どんな種類でどんな品質だったらこのくらいの値段になる、ということが分かっている人たちでしょう。

「騙された」という言い方は適当ではありませんが、あえて騙されたとするならば、それはきっと、騙されてしまう私が悪いのでしょう。

店側は、商品を買うことを強制していません。
その商品を買うかどうか決めるのは、消費者である私です。

大切なのは、本質を見極める力を養うということですね。
私はまだまだ、ぜんぜん、まったくそんな力はありません。
こればっかりは経験がものをいうのだと思います。

最近スーパーの折込広告を見るのが楽しくて仕方ない私。
ゆりみそさんみたいに、私も底値帳を付けようかしら。

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投稿者 Naomi :