2007年12月13日
 ■  家族

加湿器のポカリ.JPG

私が仕事を終えて家に帰宅するのは、大体午後9時前後です。

午後9時といえばうちの父にとってみれば、
もうそろそろ眠る時間。
帰宅したらもうすでに寝ていた、なんてこともたまにあります。

我が家の通常の夕食時間は午後6時半なので、
午後9時頃帰ってくる私は当然のことながら、
レンジで温め直した食事を一人で食べます。

話をすることもありますが、特に何も話さないこともある。
特別仲の良い家族というわけでもない。

でもなんだろう。
家の中に、誰かがいる。
その、人の存在感だけでなんだか安心するのです。

家に帰ってくると、家族団欒が待っているわけではないけれど、
でも、ただそこにいるだけで、無条件にほっとする。
やっぱり家族っていいなぁ。

家の外には楽しいことがたくさんあるけれど、
それと同じくらい、嫌なこともたくさんある。

私もいちいち家族にそんな嫌な出来事の話はしないし、
逆に、労いの言葉をかけてもらうわけでもない。

そういうのがなくても、その存在自体が癒しになるのって、
家族だからこそ。
私はそんな私の家族を、これからも大事にしていきたいな。

と、こんなことをつらつら考えてしまうのは、
最近疲れることが多いから。
世の中はなかなか、私の思い通りには動いてくれないのです。

 

2007年10月24日
 ■  時間の長さ

和風ハンバーグ.JPG

気が付けば今年もあと2ヶ月とちょっと。
「時間が経つのが早いなぁ~」が口癖になっているような今日この頃。

先日、年に一度の健康診断に行って参りました。
去年の健康診断を思い出しながら、
あれからもう1年経ったんだぁ~と
しみじみ思ってしまいました。

そうこうしているうちに今度は
年に一度のインフルエンザの予防接種がやってきて、
年に一度の年末調整もやってきて
あっと言う間に年を越してしまいそうでちょっと恐いです。

時間は誰の前にも平等で
同じ速度で流れているはずなのに、
子供の頃とは、明らかに時間の流れる速さが違うような気がするのは私だけ?

時間の流れについていけずに、
ついつい「あれもしなきゃ」「これもしなきゃ」と
無駄に焦ってしまいます。

やりたいことはいろいろとあるのだけれど、
結構人の目を気にしてしまう私は
やり始めることに躊躇しています。

人生一度きり。
周りの雑念は無視して、
自分の思うとおりに生きていきたいなぁ。

なんてことを毎年この時期に考えているような気がします。

どちらにせよ、泣いても笑っても同じ1日。
だったらやっぱりいっぱい笑いたいので、
後悔しないように、進んでいくしかないのです。

ちなみに冒頭の写真は、
健康診断の日に後輩と食べたランチのハンバーグ。
おいしかったです♪

 

2007年08月06日
 ■  「原爆の日」に思うこと

原爆ドーム.JPG

本日8月6日は、62回目になる「原爆の日」。

いろいろと思うところはあるのだけれど、
私の少ない語彙ではうまく表現できません。
でも、つらつらと語ってみたいと思いますので、
今しばらくお付き合いください。

広島に原爆が投下された62年前、
当然私は生まれていません。

ですが、今は亡き母方の祖父は戦争経験者で(被爆はしていません)、
子供の頃はよく、戦争の話を聞かせてくれました。

学校はどこも夏休みのこの時期、
毎年8月6日は登校日でした。
児童全員が校庭に集合し、
多少時間がずれてはいましたが、
平和記念式典のラジオ放送に合わせて
黙祷を捧げていました。

その習慣は今も変わらず、
状況の許す限り、黙祷だけは捧げています。

私には、
今世界で起こっている戦争や紛争、
政治を語れるほどの知識はありませんが、
「争いは良くないこと」だとは分かります。

争いの根底にあるものはきっと、
個人の欲だとか嫉妬だとか優越感だとかの、
人間の負の感情だと思うのです。

それが周りを巻き込み、国を巻き込み、
やがては世界へと広がって戦争になってしまうのだと。

そうなってしまうと私のようなちっぽけな人間にはどうすることもできなくて、
私は私のできることをするしかないわけで。

果たして私にできることは何だろう。

優しい心や、慈しみの心を自分の中で育てて、
次の世代へそれを伝えていくこと。
それくらいしか私にはできません。

自分にできないことを
他の誰かに強いることはできません。

だからまずは自分の周りにいる人たちを大切にすること。
きっと、それほど難しいことではないと思うのです。

ここまで、駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
あなたは原爆の日、何を思いましたか?

 

2007年03月19日
 ■  才能

世の中にはいろんな才能を持っている人がいますが、「聞いている人を楽しくさせる愚痴を言うことができる才能」というものもあるのではないかと思います。

いやね、うちの会社の後輩のことなんですが。

普通愚痴って、聞いていてあまり気持ちのいいものではありませんよね?でもまさか悩んでいる当人に向かって「愚痴なんて聞きたくなーい!!」なんてことは言えませんし、そこは友人同士お互い様、時には話す側に、時には聞く側に回ったりするわけです。

でもこの後輩の愚痴は、聞いているとなぜか笑えてくる。
本人は大真面目なので笑うと怒られるのですが、とにかくなぜだかおもしろい。もともとよく喋る子なのですが、それがいつにも増してマシンガントークになるので、こっちは相槌を打つのがやっと。

この後輩の面白さは、私の少ない語彙ではうまく表現することができませんが、愚痴を楽しく言える人というのは、そうはいないんじゃないかと思います。
私なんてもう、かなり湿っぽくなりますから(^^;

「そんな才能、何か役に立つの?」と思ったそこのあなた。
立ちますとも!
自分はストレス解消できて、なおかつ聞いている周りの人を楽しくさせる。
こんなすばらしい才能は、ぜひ欲しいと思ってしまうのは私だけでしょうか・・・・。

 

2007年02月04日
 ■  貯金と私

先日フジテレビの番組「特ダネ」で、貯蓄についての特集をやっていましたが、ご覧になりましたか?

なんでも20代の独身男性の貯蓄率がうなぎのぼりらしいです。これって結構意外でした。どちらかと言うと女性のほうがその辺りはしっかりしていると思ってしまうのは、もう偏見なのかもしれませんね。

テレビで取材されていたある男性は、25歳(26歳?うろ覚えです。すみません)にしてなんと貯金が1,000万円あるとのこと。しかも2年ほどで貯めたそうで、これまた驚きです。

2年で1,000万円。
年収500万円以下の私には、どう頑張っても無理ですね(^^;

その人がやっていたのは、とりあえず財布に入れて持ち歩く現金は1,000円札1枚のみ。1日が終わってお金が余っていれば、それは全てコインカウンターに入れて貯金するというものでした。

こういうタイプの男性に、私はリアルで一度も出会ったことがないのでかなり驚きましたが、友達と飲みに行ったりしないのかとか、急に体調が悪くなって病院へ行くはめになったらどうするのかとか、「大きなお世話」的なことをついつい考えてしまいます(笑

私も一応それなりに貯金はしています。
私の場合、使わない(貯めることが目的)貯金と、使う(必要なことが分かっている大きな出費が目的)貯金を合わせると、大体収入の4割程度を貯蓄に回しています。

多いと感じるか少ないと感じるかは人によってさまざまでしょうが、少ない給料の中から(笑)必要経費(家に入れる生活費、保険料、交通費、通信費など)を差し引くと、これが私にとってはぎりぎりなのです。

私は、毎月これだけ貯金するといった月単位ではなく、年間で貯蓄計画を立てています。で、それを月割りにして毎月の貯蓄額を出しているのですが、年間目標をクリアできれば、残りのお金は好きなように使うことにしています。

あまりがちがちに毎月の出費はいくらまでに抑える、などとしてしまうと、基本的に浪費体質の私は、きっとどこかで爆発してしまうと思うのです。1年スパンで考えているので、例えば今月はちょっとカードで買い物をしすぎてしまったので、いつもより1万円少ない額しか貯金できなかったとします。でもその分次の月に1万円多く貯金すればOKなのです。

基本的にアバウトな性格の私には、このやり方が性に合っているようです(笑

将来を考えて貯蓄をするのは大切なこと。
でもそのために、今の生活を犠牲にするのはいやなのです。

欲しいものを何も買わずに、友人と食事をしたり、旅行に行ったりするのを我慢すれば本当はもっと貯金できるのかもしれません。でもそれってなんだか寂しいですよね。

人の価値観はさまざまですが、私は洋服が大好きなのでおしゃれも楽しみたいし、おいしいものもたまには食べに行きたい。予算は限られていますが、その中でなんとかやりくりして最大限にお金を活用したいと思うのです。

だからそのためのお金は毎月手元に残しています。
もちろん貯蓄をすることが何より楽しいという人もいるかと思います。
それはそれで悪いことではないですし、十人十色ですよね。

大切なのは、自分にとってどういうお金の使い方が一番有意義かを知ることです。これが分からずに、ただ人の真似をして無理な節約や貯蓄を始めても、きっと続かないと思うのです。

お金は大切ですし、限りあるものです。
いくら使わないと価値のないものとは言えども、大切に使いたいものです。

 

2007年01月29日
 ■  誰かのためにできること

誰かのためにできることって、私にもあるのでしょうか?

最近ちょっと思いやりに欠けていたなぁって、反省の日々です。
ちょっといろいろあって自分に余裕を無くしていたのが正直なところなのですが、それにしてもそれを人にぶつけていいわけはない。

本当は、「思いやりがない」なんて自分にさえも認めたくないのだけど、せめて自分に素直になれないと救いようがないと思って、素直に反省です。

あまりにも反省が過ぎると、今度は自分が嫌いになってしまうので、どうしたらいいのか考えてみました。考えても結局たいした答えは出なかったのですがとりあえず、

「この人は何をすれば喜ぶのだろう」
「この人はどんな言葉をかけれられたら嬉しいのだろう」

これをテーマに人に接してみることにしました。

まだほんの2・3日の話なのですが、これを常に頭に置いて人に接していると、気が付いたことがたくさんありました。具体的にはうまく言葉に表せないのですが、「私って、今までこんなことにも気が付かなかったのかぁ」という感じ。

全然意味が分かりませんね(笑)。すみません。

ついつい「私がどうしたいか」、「私がどう思うか」を基準に行動してしまうのですが、度を越すとただのわがままです。以前にも書きましたが、自己主張とわがままの境界線ってかなり微妙です。

思いやりの心って、決して自分を殺して相手に服従することではなくて、相手を思いやることによって自分も豊かになることなんですよね。それに気が付いただけでも良かったと思います。

いや、分かってはいたんですよ?
分かってはいたのですが、人に教えられることと、身を持って実感することには天と地ほどの差があります。遅ればせながら(ホントに遅い)、やっと本質が見えてきた感じです。

本当は、意識しなくても思いやりあふれる人になれればそれが一番なのですが、まだまだ私には訓練(?)が必要なようです。

そして、決して押し付けがましくなく、自然と「誰かのために何かをしてあげたい」と思えるようになれたら、その時はきっと本物の思いやりを身に付けているのでしょうね。

私もそんな素敵な女性になれるよう、頑張ろうと思います。

 

2007年01月22日
 ■  本と映画

本がベストセラーになると、決まって映画化が決定したりしますよね。
あれ私、あまり好きではありません。

本を読んですごく感動して、映画もさぞかし良いだろうと思って観にいくと、なんだかがっかりといったことが結構あります。

「不夜城」も「ハリーポッター」も「マディソン郡の橋」も、本はすごくおもしろかったり感動的だったりしたのですが、映画はなんだかなぁという感じ。全部映画を観に行ったんですけどね。

映画にそんなに詳しくない私が言うのも少々おこがましいのですが、なんだか展開が速すぎて無理がある感じが否めない。

本は、その中に書いてあるのは当然の事ながら、文章のみ。
人物の描写や背景など、ある程度は詳しく書いてありますが、そこから先は自分の想像の世界。書いてあることを思い描いて頭の中で組み立てて行くのが醍醐味だと思うわけです。

それに対して映画は、観るもの。決して読むものではありませんよね(字幕は別)。それはそれで良いのですが、1回本で読んでしまうと、自分の想像とのギャップがありすぎて、どうも素直に楽しめないのです。

ところで、「東京タワー」すごいですね。
映画、ドラマスペシャル、連続ドラマ。

とりあえずドラマスペシャルは観ました。
連続ドラマも、今なんとなく観ています。
映画は・・・たぶん観ません(笑

ドラマもあれはあれで、別の物だと思えば結構楽しめるのですが、やっぱり本が一番いいなぁ。まだ読んだことのない方、映画もドラマもいいのですが、本をぜひ一度読んでみて欲しいと思います。

なんだか今日は思いつくままにだらだらと書いてしまったので、まとまりのない文章になってしまいました。駄文、失礼しましたm(_"_)m

 

2007年01月15日
 ■  きっかけ

「今思い描いているのとは別の方法で、幸せになれる道を探しなさい」

って、書いてありました。

どこに書いてあったかと言うと、先日エレファントバンクを買いに行った雑貨屋さんに置いてあった本。よくありますよね?何も考えずにページを開いて、そこに今のあなたへの答えが書いてあります、とかいう類の本。あれです。

本屋で見かけると、興味本位でよく開いてみたりします。買おうとまでは思わないのだけど、見かけるとついつい開いてしまいます。いつもは「ふ~ん」くらいにしか思わないけれど、なぜかこの日のこの言葉は、ズシ~ンと響いてしまいました。

今悩みがMAXで、将来のこととか仕事のこととか、私の中では結構ヘビィなのですよ。そんなもやもやとした気持ちの時にこの言葉を目にして、なんかちょっと気持ちが救われました。

基本的に私は、物事をいろんな角度から見るのが苦手で、結構偏った見方をしてしまいます。うまく言えないけれど、自分の考え方でしか物事を考えられない。周りの人の価値観や考え方、人それぞれでそれに反対する気はないのだけれど、それを自分のものとして吸収できないんです。

柔軟性がないのかなぁ~なんて落ち込んでしまうこともあるのですが、それはそれで仕方ないと、開き直ってしまっているところもあって。

で、どうしてこの言葉で救われたのかというと、自分でもよく分かりません(^^;
ただ、「ああ、そうなんだ」と素直に思ったら、なんとなくちょっと気分が楽になりました。

ものすごく落ち込んで、友人がいくら励ましてくれても上に上がってこれない時に、全然関係ないふとした言葉や場面で元気になることってありませんか?

結局世の中の言葉や出来事って、受け取り方次第でどうとでも取れて、やっぱりなんでも自分次第なんだなって、ちょっと思いました。

この本や占いなんかもそうですが、書いてあることは抽象的なことばかりです。いろんな人が抱えている問題や自分の置かれている状況が違うので当たり前と言えば当たり前なのですが、大事なのはそれをどう捉えるかですよね。

世の中に偶然なんてものはひとつもなくて、自分の周りで起きる出来事は全て必然なんだと、昔何かの本で読んだことがあります。

だから、落ち込んだり悩んだりすることも、不満も愚痴も、私の周りで起きる出来事は全て無意味ではないんだと、ちょっとずつポジティブシンキングができるようになってきました。

私がこれから先、どんな人生を歩んで行くのかは私にも分かりませんが、ちょっと良いことあるかも。そう思える気持ちを大切に、マイペースで頑張ります(^^)

余談ですが、キムタクが出てる車のCMありますよね?
「僕はこれからどこへ行くんでしょうね~?」
「それは自分が進む方向だよ」
ってやつ。あれ、なんか好きです。

 

2006年12月09日
 ■  天性

iyashi2.jpg

最近の私の癒しは、可愛い甥っ子に会うことです(^^)

大体週に1回は姉が甥っ子を連れて遊びに来ているのですが、先週は私が風邪を引いてしまい、会えなかったのです。

久しぶりに会った(といっても2週間だぶり(^^;)甥っ子は可愛さ倍増です(笑
子供って、見ているだけでも可愛くて、何もしゃべらなくても(というかしゃべれない)、癒される存在ですよね。それが身内ならなおさら。

でも子供に限らず、一緒にいるだけで癒される存在の人っていませんか?
癒されるというか、ただ話をしているだけなのになんだか楽しくなってくる人。

「優しい」とか「明るい」とか言葉で表せるものではなくて、その人の持っている雰囲気というか、オーラというか。周りを明るくする「何か」を持っているのでしょうね。

あれって、意図してできるものではありません。
きっとその人だけが持っている天性のもの。

何か悩みを相談したら素晴らしい答えが返ってきたとか、そういうことではなく、どうでもいいようなおしゃべりをしているうちに、なんだか元気になっていた。

私もそんな風に、周りの人たちを明るく照らすような存在でありたいなぁなんて、最近すごく思うのですよ。ちょっと最近、人間関係でつまずき気味なので余計に(^^;

人ってオーラがありますよね。
良い・悪いは別にして。

私の持つオーラって、どんなものなのでしょうか?
知りたいような知りたくないような、複雑な心境です。

 

投稿者 Naomi : 個別ページ表示
2006年12月05日
 ■  自己主張とわがままの境界線

自己主張とわがままって、紙一重だと思いませんか?

ある人と、何かについての話をしていたとします。
仕事でも、プライベートでもいいのですが、その話し合いでなんらかの結論を出さなければいけない状況の時、お互いがそれぞれの意見を持っている。

「私はこう思うからこうした方がいいと思う。」
「いや私はこう思うからこうした方がいいと思う。」

お互い自分の意見が正しいと思っているので、一歩も譲らない。
本当はお互いの意見を少しずつ取り入れて、妥協案を出すのが得策なのかもしれないけれど、そうもいかない時もある。

明らかにどちらかが譲らなければいけない場合、あなたならどうしますか?

こういう時に自分の意見を押し通す人は、わがままなのでしょうか?
それとも自己主張がきちんとできる人?

大体私はこういう場合、譲ってしまう方なのですが、協調性があるといえば聞こえはいいですが、悪く言うと自己主張ができない人ということになるのでしょうか?私の場合、基本的に争いごとが苦手なので、どちらかというと後者に近いのかもしれませんが・・・。

どう考えても自分の方が間違っている時はにその意見を通すことはわがままだと思いますが、物事そんなにはっきり白黒付くことばかりではありません。

そんな時はどうしても、気が強い人(または立場が上の人)の意見が通ってしまう。そんな風に思ってしまうのは、気の弱い私のひがみなのでしょうか。

それにしても世の中理不尽なことが多すぎて、うまくいかないことばかりです。最近いろいろとあってちょっとストレスが溜まっていたので、軽く吐き出してみました(^^;

さぁ。明日から頑張ろう。

 

2006年11月23日
 ■  距離感

かれこれもう10年以上前、私が学生だった頃に同じ専門学校の友人と、2ヶ月くらい一緒に暮らしたことがあります。

親元を離れて進学した私は、最初の1年は寮に入っていました。
寮と行ってもマンションを学校が借りていて、そこに学生である私たちが学校に寮費を払って住んでいるという状況でした。

4人部屋と2人部屋とが選べたのですが、2人部屋の方は4人部屋の倍近くの寮費を払わなくてはならず、私は気が進まないながらも4人部屋を選択せざるを得ませんでした。

2DKのマンションで、各部屋に2段ベッドが置いてあって、それぞれの部屋に2人で寝るといった感じです。キッチンやお風呂は4人一緒で、食事は毎日材料だけが部屋に届いて、それを当番制で調理していました。

私が同じ部屋だった人たちはみんないい人で、喧嘩や確執などはほとんどありませんでした。でもやっぱり狭い部屋に4人暮らしというものはいろいろと不便もあり結構ストレスも溜まります。

そのせいか、1年経ったら寮を出て1人暮らしを始める学生がほとんどでした。私もそんな中の1人で、仕送りは家賃だけで、残りの生活費はアルバイトをしてやっていくからという条件で、2年目からは1Kのマンションで1人暮らしを始めました。

その時一緒に寮を出た友人がいたのですが、その友人も1人暮らしを始めることにして、新築のマンションに賃貸契約を結びました。

ただ新築ということで、まだできていなかった(笑
寮と出てから新しいマンションができるまでの間が2ヶ月ほどあったのですが、その間住むところがないということで、うちのせまいマンションで同居することになりました。

暮らし始める前はなんとも思わなかったのですよ。友人だし。
でもたった2ヶ月ほどのことなのに、次第に私は家に帰りたくなくなってしまうようになりました。

同じ学校の子だったので、家でも一緒、学校でも一緒、というふうになってしまい、その子の言動のほんの些細なことまでも鼻につくようになってしまったのです。

断っておきますが、その子の性格に問題があったわけではまったくありません。本当にいい子でみんなに好かれていて、友達もたくさんいるような子でした。

そんなある日私が家に帰ると、玄関に見慣れない靴が。
私の知らない間に、一緒に暮らしていた彼女が友人を部屋に呼んでいたのです。
彼女と私と共通の友人で、部屋に招くことは別に構わないのですが、事前に一言言って欲しかった。

そんなことが重なり、私も結構限界でした。
平気な人は平気なんでしょうが、私には友人と同居することはもう無理だと思いました。

初めから期限付きだったので、今回は当初の予定どおりなんとか同居期間を終えましたが、もっと長くなるようだったらそのまま喧嘩して追い出していたかもしれません(笑

最初にルールを決めておくべきでしたが、短い期間ということもあり、そんなことまで考えていませんでした。家族や結婚は別ですが、私が今後誰かと部屋をシェアして暮らすことは、もう2度とないと思います。

もともと友人や恋人とうまく距離感を取ることが苦手で、近づきすぎて面倒になり、離れすぎて寂しくなりの繰り返しで、ちょうどいい関係というのが私にはとても難しいことなのです。

昔に比べれば少しはましになったのですが、相変わらず第一印象はやっぱり冷たいらしいです(^^;
そんなつもりはないのですが、なかなか人に対して心が開けていないのかもしれません。

ま、それも個性ということで(?)、あまり深く考えずにやっていこうかと思っています。
あまり人に悩み相談というものをしませんが、信頼している人にはちゃんと話を聞いてもらっていますし、信頼できる人が周りにいる私は、とても恵まれていると思います。

出会ってすぐに距離感がうまく取れるかというと、そんなことは無理ですし、ぶつかりながらいろいろと理解し合えていけばいいんですものね。

人と関わることって本当に大変だと思いますが、1人では生きていけないのが人間なのです。

 

2006年11月15日
 ■  言われたことをやってみる

最近、とある女性と話をする機会がありまして・・・・

その方は、主婦であり、母であり、そして現役でばりばり仕事もしていらっしゃいます。
某企業のかなり上の方の立場にある人で、実際にお会いしてお話していると、なんとも言えないオーラが出ています。

でもとても気さくな方で、全然話しにくいなんてことはありません。
あんな風になれたらいいなぁと、私が最も憧れるタイプの女性なのです。

そして、今勤めている会社に入った当初はごくごく普通の一般社員で、その業界のことなど何も知らず、努力に努力を重ねて、今の地位まで上り詰めた、努力の人でもあるのです。

その方が言われた言葉が、記事のタイトルである「言われたことをやってみる」なのです。
分からないことがあると、分からないなりに頑張ってしまうものですが、頑張る方向が間違っていると、それは無駄な努力に終わってしまいます。

「自分のやり方」というものを確立するのも大事なことですが、まずは言われたことをやってみるというのも必要なことです。

下手にキャリアだけ長いと(私のことですが)、何か指示されても、それってやっても無駄なんじゃない?なんて、やたら上司に反抗したくなるのはなぜなのでしょう?(笑

でも初心に帰って、指示されたことをやってみる。
それがうまくいかなければ、なぜうまくいかなかったのかを考える。
この繰り返しも成功にとって欠かせないプロセスなのではないかと思います。

なんだか私にとってはものすごく説得力のあるお話で、素直にならないといけないなぁと、ちょっと反省したりしました(^^;

とりあえず行き詰ったら、「言われたことをやってみる」を合言葉に、しばらくはやってみようと思います。うまくいくかどうかは結局、自分次第なので難しいところではあるのですけどね・・・・。

 

2006年11月06日
 ■  バレーボール

世界バレーが始まってから、テレビでの放送が見れる日は画面に釘付けになってしまっています。特にバレーが好きというわけではないのですが、野球やサッカーと違って、ばんばん点数が入っていくので、その勢いに目が離せなくなってしまうのです。

さて。
特にバレーボールが好きではないと書きましたが、実は私、子供の頃近所のバレーボールクラブに所属していました。学校のクラブ活動ではなく、それとは別に行っているバレーボール教室です。

特にスポーツが好きなわけではなく、ましてやバレーボールが好きだったわけでもないのに、なぜ所属していたのかはいまだによく分かりませんが、たぶん仲の良い友達がバレーをしていたからという、そんな理由だったような気がします。

ちょうど河合選手全盛の頃で、みんなで試合を観に行ったこともありました。
今のなっては、(ただの)いい思い出で終わってしまっていますが(笑

その時のチームメイトで、今尚バレーボールを続けている人はいません。
プロになる人と、ただの趣味で終わってしまう人の違いってなんなのでしょうね?

もちろん才能や取り巻く環境も大きく影響していると思うのですが、何よりやっぱり、精神的な強さや、意志の強さなのでしょうね。

決して順風満帆な道ではないでしょうが、それでも諦めない強さっていうか。
そういうものが、今の私に一番欠けているところ。

なんかすぐに諦めちゃって、一生懸命できない理由を探している自分にふと気がつきます。
そんな自分が、たまらなく嫌なんですよね。

さすがに今からプロスポーツ選手になろうとは思いませんが(そもそも無理)、私もやりたいことを諦めずに、たった一度きりの人生を充実したものにしたいと思います。

そんなわけで少し話がそれましたが、世界バレー、かなりドキドキしながら観ています。
時々見せる柳本監督のガッツポーズもかなり好きですし(^^)

水曜日からまた、第2ラウンドが始まります。
みなさん一緒に日本を応援しましょうね♪

 

2006年10月20日
 ■  負けず嫌い

私はかなりの負けず嫌いです。
あらためてそう思い知ったのは、昨日ある人から言われた一言。

最近ちょっとした悩みがあって、とても実現の見込みがなさそうで、ほぼ諦めムードだった私。その事をその人にチラッと言ったら、返ってきた言葉がこれ。

「そんなに簡単に諦めちゃうんだ」

そう言われたら諦めるわけにはいかないでしょ?(笑

結局捨て身で頑張ってみたのですが、結果は微妙。良かったのか悪かったのかよく分かりません。というか、まだ決着は着いていないのですが。

だけど、「私は頑張った」という思いだけは心に残ったので、そういう意味ではすごくすっきりした気分です。

結果オーライという言葉があるけれど、私の場合は過程オーライ(笑
後悔はないので、良しとしましょう。

今回私の行動の原動力になったのは、何かを達成したいという気持ちよりも、「諦めるんだ」という一言に反発する気持ちの方が強かったような気がします。

もう筋金入りの負けず嫌いです(笑

そこまで見越してこの人がこの言葉を私に言ったのかどうかは分かりませんが(そうだとしたら空恐ろしい・・・)、どうやら私は、素直に頑張ってと言われるよりも、こういう言い方をされる方が、俄然やる気になってしまうようです。

うちの父も、普段は温厚で優しいのですが、実は頑固で負けず嫌い。
そんな父の血を、私は見事に受け継いでいるようです(^^;

※話の内容が特定されそうなので、微妙に言葉は変えてあります。が、ほぼこんなニュアンスの言葉です。ちなみにその人とは、いつも助けてもらっている、尊敬すべき同僚のこの人です(笑

 

2006年10月10日
 ■  迷いうさぎと小さな幸せ

私が家を出るのは、毎朝大体7時50分頃。
今日もいつもどおり、家にいる両親に「行って来ま~す」と声をかけたのですが・・・・

今日に限って何の反応もなく。

両親はいつもなら、朝食を済ませて寛いでいる時間帯。
たいがいいつも「いってらっしゃい」の声を聞けるのですが、なぜか誰も答えない。
「ん?」と思いながらも玄関を開けて外に出てみると、二人とも庭に出ていました。

「ちょっとちょっと」と手招きして私を呼ぶ母。
なんだろうと思いながら母の呼ぶ方へ行ってみると、なんと子ウサギが1匹、怯えた目で私を見ていました。

小さくて白くて、本当に可愛くて。
思わずつかまえて飼いたくなりましたが、そうもいかず。

まさか野生のウサギがこの辺りにいるはずもなく、きっと近所の誰かが飼っているものが逃げてきたのだろうという話になりました。

このウサギちゃんの行く末が気になったものの、私は電車に遅れてはいけないので、後ろ髪を引かれるような思いで、そのまま仕事に出掛けました。

ウサギのあまりの可愛さに、連休明けの憂鬱も吹き飛んで、ほのぼのした気持ちで乗り込んだいつもの満員電車。当然座れるはずもなく、立ったまま、電車の窓からいつもの見慣れた風景を見るともなく見ていました。

私が乗る駅から2つほど進んだ次の駅。
二人の兄弟らしき小学生が、電車に乗り込んできました。

ホームには駅まで付き添って来たお母さんの姿。
これから出勤なのか、スーツ姿です。

そんなお母さんに、その二人の兄弟は、電車のドアが開いているわずか1・2分の間、ずーっと手を振りながら、「バイバ~イ。お仕事頑張ってね~」といい続けていました。

3人ともすごく笑顔で、本当に幸せそうに見えました。
きっと温かくて仲良しな家族なんだろうなって思うと、自然と笑みがこぼれてきます。

動物や子供って、見ているだけで癒されるのはなぜなんでしょう?
たまに癒されない子供もいますが(笑、その純粋さゆえに、見ているこっちまで幸せのおすそわけをしてもらったような気がします。

毎日同じように見えて、微妙に違う私の日常。
いやな事もたくさんあるけれど、こんな小さな出来事でも幸せを感じることができて、私もまだまだ捨てたもんじゃないなって、ちょっと嬉しくなりました。

おかげで今日1日、良い気分で過ごせました(^^)
viva!人生。

※我が家に迷い込んで来たウサギちゃんですが、無事、うちの父がつかまえて飼い主の元に帰っていったようです。どうやって飼い主をみつけたのか母に聞いたのですが、「町内のことならなんでも知っている○○さんに聞いた」とのこと。どこにでもいますよね、そういう人(^^;

 

2006年10月08日
 ■  30代の会話

友人や家族との、何気ない日常の会話。
みなさん、どんな話をしていますか?

私は、インストラクターという仕事をしていながら、実はあまり人と話をするのが得意ではありません。私をよく知る周りの人たちは「そんなことはない」と思うかもしれませんが、実はそうなのです。

人見知りは、ほとんどしません。
でもだからと言って、話をするのが得意なわけではないのです。

そういう性格だからなのかは分かりませんが、昔から私の周りには、よくしゃべる人が集まっています。どちらかと言うと聞き役に徹する方なので、自然とそういう交友関係になるのかもしれません。

話をするのは得意ではありませんが、嫌いなわけではなく、友人や同僚とランチを食べながら他愛ない話をするのは好きで、そういう時間はとても大切だと思っています。

さすがに気の置けない仲間たちといる時には饒舌にもなりますし、あまり人には聞かせられないような会話もします(どんな内容かは内緒(笑)。

そんな他愛もない、どうでもいいような話。
昔から同じような会話をしているように見えて、実際には歳を経るごとに微妙に変化していると感じたことはありませんか?

もちろん人間環境が変われば、自分の中での最大の関心事も変わってきます。結婚や出産をしたばかりの女性ならば、今まで自分へ向いていた関心が、自然と家庭生活や子育ての方へシフトしていくのではないかと思います。

私の場合、結婚も出産もしていませんし、学生時代の2年間を除けば、その人生のほとんどを親元で暮らしています。

大きな転機といえば、入学、卒業、就職、転職くらいでしょうか。
もちろん環境が変わったばかりの頃は、新しい環境に慣れることに必死で、当然関心はそこにあります。

やがてその環境にも慣れ、毎日に落ち着きを取り戻した頃、友人たちとする会話。
20代前半の頃は恋愛、20代後半になると将来の事、そして30代になった最近では・・・・。

健康。

いやね、確かに身体は資本です。
元気でなければ何もできないし、悩んでいる時間もありません。

確かにそうなのですが、会話の中で頻繁に出てくるキーワードが「整体」とか「病院」とか「運動」とかばかりだと、なんだか一抹の寂しさを感じてしまうわけですよ。

もちろん恋愛のことも将来のことも仕事のことも、それなりに大切に考えています。でもまず出てくるのが「健康」なのです。

これってどうなのでしょう?
10代・20代の頃は、多少無理しても一晩眠ればまた元気になっていたものです。ところが30代に入るとそうはいかなくなる。

認めるのは悔しいですが、これは真実。
だからこそ、こういう会話が主流になってくるのでしょうね。

もちろんこれは私に限っての話で、世間の30代の方々はどうなのかは分かりません。20代の頃と変わらず、仕事も遊びもパワフルに楽しんでいる方もいらっしゃると思います。

会話って、その時の自分の関心事がメインになるものです。
健康であることは、それだけで素晴らしいことですが、「健康であること」だけが目的になってしまうとそれはそれで寂しいものです。

何かをしたいから健康でいたい。
常に成長し続けたいから健康でいたい。
やっぱり人って、そうあるべきだと思いますし、私もそうありたいものです。

だから電車の中で女子高生たちが、「なんか人生に疲れた」とか言っているのを聞くと、私としては寂しいわけですよ(笑

世の中の若者よ、頑張れ。
そして私も。

 

2006年10月05日
 ■  言葉ってフシギ

言葉って、本当に不思議です。
同じ意味の言葉でも、言い方によってはまったく違う感じで聞き取れたりします。

先日電車の中吊り広告でみつけた文章。

「座席の譲り合い、いつもありがとうございます」

どう思います?

これを見た時、うまいなぁと思いました。

「座席の譲り合いをお願いします」
と頼まれるよりも、先に「ありがとうございます」とお礼を言われた方が、余程効果があるような気がします。

人間先にお礼を言われてしまうと、その通りに行動しなければいけないように錯覚してしまうものです。もちろんそんな事を言われなくても、率先して座席を譲るような人にはあまり関係ないかもしれませんけどね。

最近、お店のトイレなどでもよくみかけるのですよ。
「いつもトイレを綺麗に使ってくださって、ありがとうございます」などという言葉を。

最初に考えた人、すごいですね。
なんてことを1人でちょっと考えてしまいました。

 

2006年09月26日
 ■  私の好きな歌

最近の私のお気に入りの歌は・・・

BENNIE Kのskyという歌。

アップテンポでさわやかな曲で、歌詞もとっても前向きなので、聴いていると元気が出てくるのです。

私は音楽を聴くのが好きで、車の中や通勤電車の中ではいつも聴いているのですが、特別音楽が大好きという人でなくても、お気に入りの歌って必ずあるのではないでしょうか?

失恋した時に聴きたくなる歌。
落ち込んだ時に聴きたくなる歌。
何かいいことがあった時に聴きたくなる歌。

みんな何かしら、そういう思い入れのある歌があるような気がします。

また、特に思い入れはなくても、ちょっと昔のヒットソングなどを偶然耳にすると、その時の自分の状況などが自然と心によみがえったりしてきませんか?
あ~あの頃はこんなことがあって、こんな風に感じていたなぁって。

聴く気はなくても、テレビやラジオで音楽がかかっていると、自然と耳が覚えていたりするもので、数年後に懐かしく思い出したりする。

私たちと音楽って、そんな切っても切り離せない関係なのかもしれません。

さて、冒頭のBENNIE Kですが、最近結構お気に入りです。
このskyという曲は何かのアルバム(タイトル忘れました(汗)の中に入っていたものなのですが、どうやらシングルでもあるようです。

朝通勤電車の中でこの歌を聴くと、今日も1日頑張ろうという気持ちになります。私が単純なだけかもしれませんが、音楽が人の深層心理に与える影響って、結構侮れないものがあると思うので、私は朝はできるだけ悲しい曲は聴かないようにしています。

そういう意味でもこのskyはおすすめです。
機会があれば、是非一度聴いてみてくださいね♪
朝に(笑
 

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2006年09月19日
 ■  ありがとう

最近、「ありがとう」と、心を込めて言いましたか?

「ありがとう」って、普段何気なく使うことが多いけれど、あまり心を込めていないような気がする・・・。

例えば食卓なんかで、遠くにあるお醤油を取ってもらった時に言う「ありがとう」。
仕事で、誰かに何かを頼んで、それをその通りにしてもらった時に言う「ありがとう」。

なんだか条件反射で言葉が口をついて出てしまうけれど、本当に心を込めて言っているかと問われると、ちょっと疑問かもしれない。

昨日SMAP×SMAPで、「ありがとう」という歌を聴いた。SMAPの新曲だそうで、そんなにファンでもない私はうろ覚えなのだけど、いろんな「ありがとう」をテーマにしたその歌を聴いて、ちょっと考えてみた。

日常使う「ありがとう」と、本当に心から感謝した時に使う、スペシャルな「ありがとう」という言葉。発音も意味も同じだけれど、この2つには大きな隔たりがあるように思う。

普段使い慣れている「ありがとう」。
きっと誰もが普通に使っている言葉。特に気にも留めずに発している言葉。

もしかしたら、どんな場合の「ありがとう」にも心から感謝を込めて発している人もいるかもしれないけれど、そんな人はまれなのではないだろうか?

別に感謝していないわけではない。
そうではなくて、感謝の大きさが違う。
人の気持ちを、大きい・小さいで表現してはいけないのかもしれないけれど、ちょっと例を挙げてみると、

「ちょっとそこのお醤油取ってくれない?」とお願いして、取ってもらう。
で、「ありがとう」。

こんな風景は日常よくあると思う。

そんな時に、「ありがとう、本当にありがとう!」と涙を流して感謝されたら、ちょっと引くでしょ?(笑

例えが飛躍しすぎているかもしれないけれど、つまりはそういうこと。

私も、この世に生を受けてもうすぐ32年。
この間、それなりにいろいろなことがあった。

楽しいことや嬉しいこともたくさんあったけれど、つらいことや悲しいこともやっぱりたくさんあった。
そんな時に手を差し伸べてくれた、家族や友人に心から感謝している。

でもそんな時の「ありがとう」は、結構言い辛い。
その言葉に込める気持ちが大きければ大きいほど、言い出すのが簡単ではなくなると思うのは私だけだろうか?

感謝の気持ちを伝えたくて、でも伝わらなくて、それでも絶対に伝えたくて、搾り出すように言った「ありがとう」。本当はさらっとさりげなく言いたいのに、かなり格好悪くなってしまって、でもきっとそんな時の思いは相手に伝わっている(と、信じたい)。

本当は、「ありがとう」を言う相手がいること自体が、感謝すべきことなのかもしれない。どこに感謝を向けたらいいのかはよくわからないけれど、きっとそれは、すごく幸せなことなのだと思う。

自分のことを心配してくれる人がいる。
自分のことを思ってくれている人がいる。

これに勝る力はないと、私は思います。

最近、誰かに心を込めて「ありがとう」と言いましたか?

 

2006年08月26日
 ■  お小遣い

子供の頃、いくらお小遣いをもらっていたか覚えていますか?

私の勤めているパソコン教室の生徒さんの年代は、本当にさまざま。
小学生の子供から、おじいちゃん、おばあちゃんまで幅広い世代の人たちが通ってくださっています。

で、今日、私が担当している高校生二人が、お小遣いについての会話をしていました。どうやら二人とももらっている金額は3,000円らしく、一人の子は全然足りないと言っていて、もう一人の子は充分足りると二人で熱く語っていました(^^;

もうすでにこの頃から金銭感覚の差って、生まれるのですね。
確かに高校生だとまだ親の保護下にいるので、食事はもちろんのこと、その他生活にかかる費用は親が支払うのは当たり前です。

友達と遊ぶことはあってもあまりお金ってかからないんですよね。子供の頃って。どうして大人になると「お金がないと遊べない」ってなってしまうんでしょうね。ちょっと考えてしまいました。

ちなみに私は、高校生の時すでにアルバイトをしていました。
だからアルバイトをしていない子よりも、お金は持っていたのでしょうが、その頃から浪費家の血が騒ぎ始めて(笑、貯金なんていっさいせずに、きれいに全部使っていました。
何に使ったのかは、今となってはまったく覚えていませんが・・・。

でもお金って、ないならないなりに結構なんとかなるもんです。無計画な買い物や贅沢を押さえれば、少ないお金でも豊かに暮らすことは可能です。

「お金なんていらない」とは言いません。というか言えません(笑
ですが、基本的に私はお金は使ってこそ価値のあるものと思っていますので、将来のために貯蓄をしつつ、自分が必要だと思ったものには惜しみなく使っていくつもりです。

問題は、「必要」なものと「必要ではないかもしれないけれど、とにかく欲しい」ものの見極めでしょうか・・・。ここがうまくいかず、いつも失敗ばかりしています。

自分で働いて収入を得て、それを賢く使う(または貯める)。
私の中に理想はあるのですが、ついつい誘惑に負けてしまったりしています。

でも自分のしたことに責任を持つのは他でもない自分自身です。
将来の自分が困らないよう、今の自分を楽しみつつ、お金を有効に使っていきたいものです。

ちなみに私が高校生の時にアルバイトを始めた理由は、
「お姉ちゃんのお下がりがいやだった」
ただそれだけです(^^;

 

2006年07月31日
 ■  イライラ対処法

みなさん、夏は好きですか?

私はどうもダメです。
暑いとなんだかイライラしてきてしまって、困りものです(^^;

暑いからというだけが理由ではないとは思うのですが、日頃のストレスに、暑さが拍車いるような気がします。

悲しいとか、寂しいとか、できれば避けて通りたい感情はたくさんありますが、その中でもこの「イライラ」が私は一番嫌いだったりします。

例えば悲しい時は、思いっきり泣いたら一時的にせよ、気分がすっきりします。でもこのイライラ、どうにも手のほどこしようがなく、自分の気分が元に戻るまで、ただただ時間が過ぎていくのを待つしか対処法がありません。

イライラしている時って、なぜだか分からないけれど、過去に起きたいやな出来事とか、これから起こるかもしれないいやな出来事が頭の中をぐるぐる駆け巡って、さらにイライライラ・・・。
私だけでしょうか?こんな風に感じてしまうのは。

それでも私の仕事にイライラは禁物なので、なんとか気持ちを落ち着かせる方法をいろいろと試してみたのですが、今のところうまくいっているのは、とにかく今やっていることに集中するということ。

今自分がしていることがなんであれ、とにかく集中。
そうすると、イライラを一時忘れることができます。
一時ですが(笑

簡単に気持ちを切り替えることができればそれにこしたことはないのですが、なかなかうまく行きませんね。何かいい方法があれば教えてほしいものです。

 

2006年07月08日
 ■  頑張って

「頑張って」という言葉。
普段何気なく使っているという人、結構多いのではないでしょうか。

かくいう私もそんな一人で、自分にも、自分以外の誰かに対してもよく使っています。

根が単純な私は、「頑張って」と言われると、大体において「よし。頑張ろう」と思えるのですが、その時の自分の精神状態によっては、素直にそう思えない時もあります。

頑張っているのに結果が伴わない時、頑張っても失敗してしまった時、それに追い討ちをかけるように「頑張って」と言われると、とてつもなく大きなプレッシャーになってしまい、「もう無理」と思ってしまうのです。

きっと言っている方は、自分の言葉がそんなに大きなプレッシャーになっているとは考えもしないのでしょうが、言われた方は「これ以上何をどう頑張ればいいの?」という心境になってしまいます。

この言葉の持つ本来の意味は、とても前向きなものだと思います。
でもそれを使う人、使われた人、その時の状況などによっては、言葉の意味が変わってしまいます。

ですから、安易に「頑張って」という言葉を使ってしまうと、時にそれは、人を傷つける事になってしまうので、言葉って本当に難しいものです。

人は何か重大な話をする時、悩みを相談する時やされる時などは、言葉を選んでよく考えながら話をします。ですが、他愛もない日常会話の場合、自分の発する言葉にそこまで注意を払う人は少ないのではないでしょうか?

これは私にも言えることで、友人とどうでもいいような話をする時には、ほとんど思いつくままに言葉を発しています。そんな時にはきっとほぼ無意識で使ってしまっていると思います。「頑張って」と。

励ましのつもりで発した言葉を、違う意味で受け止められるのは、なんだかすごく悲しい気持ちになってしまうのですが、それはよく考えもせず発した自分にも責任はあるわけですから、ある意味仕方のないことなのでしょう。

誰しも、自分が言われて嬉しい言葉というのがあると思います。
でもそれを言われて、嬉しい人ばかりではないということを、忘れてはいけないのです。

ついつい自分中心で物事を考えてしまいがちですが、言葉って、発する側よりも、それを受け止める側の気持ちを優先するべきなのですよね。

相手の立場に立って、その言葉を言われたら相手がどんな気持ちになるかをいつも気にかけて、適切なアドバイスや助言をする。または相槌を打つ。

言うのは簡単ですが、それを実行するとなると結構難しかったりするものです。

自分の聞きたい時に聞きたい言葉を、さらっと言ってくれる人っていませんか?
そんな心配りをさりげなくできる、そんな人間に私もなりたいものです。

言葉って本当に難しい。
私の発する言葉が、相手を傷つける武器ではなく、相手を慰めることのできる力を持てるよう、願ってやみません。

 

2006年06月14日
 ■  刺激

旅行や飲み会も好きだけれど、基本的にはおうちでゆっくり寛いでいる時間を、かなり幸せに思っている私。おまけにあまりマメな方でもないので、下手すると3週間とか、家族と仕事関係の人にしか会っていない時があったりします。

もともとそんなに寂しがりやでもなく、いつも誰かがそばにいないとダメ、というタイプでもありません。一人も時間も楽しく過ごせるし、家族と過ごす時間もそれなりに楽しい。そして、職場も特に人間関係などに悩まされることもなく、居心地よく仕事をさせてもらっています。

でもこの「居心地が良い」という状態、ちょっと危険信号です。
なぜなら、放っておくと、惰性へと限りなく近くなってしまうから。

今のままの状態をずっと続けることは、確かに楽です。
私は基本的に怠け者なので、どうやったら楽な状態を続けられるか、ついつい考えて行動してしまいます(^^;

でもたまに会う友人たちといろんな話をすることで、そんな怠け心にムチ打つことができています。自分とは違う環境に身を置いている人たちの話を聞いていると、程よい刺激を受けるんですね。

別に、芸能人の友人とか、起業した友人がいるわけではありません。
専業主婦だったり、OLだったり、フリーターだったりする、いたって一般市民な友人たちです。

でも、どんな環境にいて、どんな仕事をしていても、それぞれに身を置いている環境というものがあって、それは私とは違うのです。

それに、考え方もそれぞれ違っていて、まさに十人十色、いろんな視点でみんな物事をみています。

そんな彼や彼女たちの話を聞いていると、怠けている場合じゃないなぁ~と、私も頑張ろうと思わせてもらうことができるのです。

平穏無事な日々もいいけれど、やっぱり人生には刺激も必要なのかな。
ドキドキハラハラしっぱなしの毎日は嫌だけれど(笑、
たまに刺激を与えてくれる友人たちの存在は、私にとってとても大きなものです。

私は今まで、学校や職場で、あまり人間関係で苦労したことはありません。
周りの人たちの話を聞いていると、結構深刻な悩みを抱えている人がいたりするので、その点私はとても恵まれていると思います。

いつもいつも同じ人とばかり行動していると、確かに楽だけれど、世界がとても狭くなってしまいます。だからやっぱり、いろんな人たちと出会って、いろんな話をすることって大切なんだなと、つくづくそう思います。

もちろん、今私の周りにいてくれる人たちを大切にしながら、ですけどね。
でも私の場合、まずはもっとマメになることから始めた方がいいかもしれませんが(笑

 

2006年06月09日
 ■  感情

私はあまり「怒られた」という経験がありません。

もちろん、両親や学校の先生に怒られたことはあります。
だけど、家族に怒られるのと、家族以外の人に怒られるのって、根本的に何かが違いますし、学校の先生の場合、私個人が怒られているというよりも、複数の生徒に対して怒っているということが多かったのです。

あまり人に怒られるようなことをしない、というのが理由のひとつなのですが、それは決して間違ったことをしない、ということではなく、間違ったことをしてしまっても、怒られないように対処するという、そんな処世術だけはしっかり身につけてしまいました(^^;

これってどうなんでしょう?

確かに怒られないにこしたことはありませんが、人生時には激しく怒られて、激しく反省することも必要なのではないかと思います。

私があまり「怒り」という感情をぶつけられることながないのと同じように、私自身も人に対して、激しい感情をぶつけることがありません。

なんかね、怒鳴ったりできないんですよ。
ドラマなんかで友達同士で激しく言い合っているシーンとかありますが、あんな風に友人と喧嘩したことって、私は今まで一度もありません。

文句を言ったり愚痴を言ったりすることは、もちろんあります。
誰かに対して腹を立てたりということもあります。

でもいざその本人を目の前にすると、多少不機嫌になるにせよ、激しい言葉は私の喉元でぴたっと止まってしまいます。

その分内に抱え込んで、ストレスに変わってしまうんですけどね(^^;

その場は丸く収まるけれど、お互い言いたいことを言い合えないと、不満の元がくすぶって残ってしまうわけですから、結局解決しないままそのうちどうでもよくなってしまう。

これってあまり良いことではありませんよね。

その場はどんなに気まずくても、言いたいことを言い合って、お互い納得して仲直り。そんな風に簡単にはいかないものでしょうか?

怒る方も、怒られるほうも、どちらもいい気分ではないので、その両方とも避けてしまう。大人になるにつてれ、こんなことが増えていくような気がします。

たまには後先考えずに、自分の感情をぶつけてみたい。
密かにそんなことを考えたりするのですが、きっと私の場合、後からものすごく後悔しそうです。

人間関係って、本当に難しい。
人間みんな違うので、だからこそ軋轢が生まれたり、共感してくれることに喜びを感じたりするわけですよね。

闇があるから光が輝くのと同じように、世の中に自分とまったく同じ人間がいないからこそ、個性が際立って楽しいのかもしれませんね。

人と接すること、良いことばかりではありませんが、逆に悪いことばかりでもありません。

 

2006年06月07日
 ■  一葉の想い

「一葉の想い」というテレビ番組が好きです。

毎週火曜日の夜9時54分頃から(今だと、アテンションプリーズとブス恋の間)に、3分くらい放送している番組です。私はこれ、全国放送だと思っていたのですが、どうやらテレビ新広島だけのようです。

毎週ゲストが一人出演されていて、その人の大切な人に向けて手紙を書くというものです。手紙を書く相手は、家族だったり友人だったり、昔お世話になった人だったりします。

「ありがとう」という言葉、面と向かって言うのは照れくさいので、手紙で感謝の気持ちを伝えようというものです。

その手紙を、本人がナレーションをして読んでいくのですが、これが結構ほろりとさせるような内容ばかりなのですよ。ゲストは当然のことながら芸能関係の人たちばかりで、私とはかけ離れた生活をしているので、「あ~分かる分かる」というような共感はないものの、「ありがとう」という感謝の気持ちはきっと同じもの。

毎回結構楽しみにしています。

私、手紙って苦手です。
こうやってブログを書いたり、メールを書いたりということは、別に苦ではないのですが、いざ便箋とペンを目の前にすると、何を書いたらいいものやらわからなくなってしまうのです。

ある特定の人に対して、自分の気持ちや感じていることを言葉にするのって、私にとってはとても難しいものなのです。

携帯などでするメールって、別に短くてもいいじゃないですか?
でも真っ白な便箋を目の前にすると、ぎっしりと最後まで文字を埋めないといけないような、強迫観念が生まれてきてしまいます(笑

なので、書かなくてもいいようなことを書いて行間を埋めてみたり、逆に本当に書きたいことが書けなかったりと、なかなかうまくいきません。きっとその根底に、「相手に良く思われたい」「相手を感動させたい」という思いが隠れているからなのでしょうね。

開き直るつもりはありませんが、こういう想いって、人間誰しも持っているものだと思うし、そんなに悪いことだとも思いません。程度の問題もありますが、こういう感情から、自分を成長させることもできると思いますから。

でも心に響く手紙というのは、決して美辞麗句を並べたものではないのですよね。
下手な文章でも、本当に心をこめて書けば、きっと相手に届くはずです。

私の場合、「さぁ、心に響かせる手紙を書こう!」と思って、結果、変にギクシャクしてまうのでしょうね、(笑

たとえ不器用でも、相手の心に響く手紙を、いつの日か、書けるようになりたいものです。
いったいいつになるかは、私にも分かりまんけどね(^^;

 

投稿者 Naomi : 個別ページ表示
2006年06月03日
 ■  プロセス

何かを願う⇒計画を立てる⇒実行する⇒願いが叶う

どんな分野においても、このプロセスが王道ですよね。
着々とこの通りに物事を進めて、最後には結局何かを達成させてしまう人を、心から尊敬してしまいます。

私の場合。

何かを願う⇒願っているだけで叶わない
何かを願う⇒計画を立てずに行き当たりばったりの行動⇒失敗
何かを願う⇒計画を立てるだけ⇒結局叶わない
何かを願う⇒幸運なことに、願っているだけで叶う

大体この4つのうちのどれかです(^^;

願っているだけで、ラッキーなことにその願いが成就してしまう。
一見すごいことのように思えますが、それはあくまでビギナーズラック。
経験値が少ないので、それを次に活かせない。
いいのか悪いのか分かりません。

やっぱり物事には順序というものがあって、それなりのプロセスを踏むことは必要です。間をすっ飛ばして成就したとしても、結局は自分のためにならないような気がします。

よく言えば細かいことにこだわらない大らかな、悪く言えばいい加減で面倒くさがりな、そんな典型的なO型の性格を兼ね備えているこの私。今までいろいろなことを流れに任せて乗り切ってきました。

今まではそれでなんとかなってきたけれど、果たしてこれからは・・・?

このあたりでひとつ、仕切り直しが必要な気がします。
物事を客観的に見つめる目、冷静に分析する力、私に大きく欠けている部分です。

これらを培いつつ、何かひとつでも、どんな小さなことでもいいので、きちんとプロセスを踏んで、願いを叶えてみたいです。

だってほら、ただなんとなく叶ってしまうよりも、自分の頑張りの成果だって思えるほうが、この先もずっと頑張っていけそうではありませんか?

 

2006年05月28日
 ■  思い込み

思い込みって、あまり良い意味で使われる言葉ではありませんが、時としてすごい力を発揮してくれます。

何かにチャレンジしようとしている時に、「必ずうまくいく」と考えることはとても大切。失敗した時のことばかり考えていると、なかなか一歩を踏み出せません。

必ずしもうまくいくとは限りませんし、失敗した時の対処法を考えておくことも必要かもしれませんが、人生時には、後先考えずに突っ走らないといけない時もあります。
そんな時に明るい未来を想定することができれば、踏み出す足も軽くなるのではないでしょうか。

私の想像力(妄想力?)は果てしなく、明るい未来を想像することは結構得意です。でも同時に、暗~い未来を想像することも得意です(^^;

精神的に安定している時は、考えることも明るいことばかりなのですが、嫌なことがあったりして落ち込んでいる時には、どうしてもネガティブな考えに捉われがちです。

だから、気分がもやもやしている時には、大事な決定はしないことにしています。そんな時に実行したことって、大体が散々な結果に終わることを経験から知っていますので。

もしかしたら、「私は美人、美人、美人」と思い続けていたら、本当に美人になれるかも(なれないかも)。美人になれるかどうかは置いておいて(笑、そんな思い込みが私の力になっていることは確かです。

だからこれからも、「もしかして彼って、私のこと好きなのかも」とか、「この仕事は絶対うまくいく」なんていう思い込みは、根拠があろうとなかろうと、人に迷惑をかけない限り続けていこうと思います。

それに、「絶対だめ」って思っているよりは、「必ずうまくいく」って思っている方が、人生きっと楽しいですよ♪

 

2006年05月25日
 ■  物欲

現在の私の欲しい物ベスト3。

1位:圧力鍋
2位:ブラウンマルチクイック
3位:ホームベーカリー

基本的に、超が付くくらいの浪費家の私。
以前は、「欲しい!」と思ったら、後先考えずに一瞬で買い物をしていた。

でもさすがにそれはやっぱりまずいと思い、最近は何かを欲しいと思ったら、まずは欲しい物を全部リストアップして紙に書く、という作業を始めてみた。

物欲は果てしなく、小さな物から大きな物まで、際限なく出てくる出てくる。
そのリストを眺めて、これを全部片っ端から買っていたら、私は間違いなく破産するなと、一人ため息をついてみたりして。

そんなことをしていると、確かに欲しいけれど、絶対に必要というわけでもなく、まあ買わなくてもいいかなと思えてくるから不思議。一応今のところ、破産は免れている。

私の物欲には、波がある。

まったく何にも欲しいと思わずに、ほとんど買い物をしない時期があるかと思えば、何かに憑かれたかのように、いろんな物を次から次へと買ってしまう時期があったりする。
(日頃節約しようといろんな物を我慢しているので、その反動が出てしまう、という説もある)

そして、「欲しい」と思う物の種類にも、その時の私の精神状態がかなり如実に現れている。こういう言い方をするとちょっと大げさだが、その時私が何を思っていたか、後からリストを見返してみると一目瞭然なので、結構笑える。

ちなみに、数ヶ月前の私の欲しかった物のほとんどは、化粧品。
この頃はかなり美容モード全開だった。
まだ最近のことなので、よく覚えている。

そして今はご覧の通り、料理モード全開なのである。
熱しやすく冷めやすい自分の性格をよく分かっているから、買うのを躊躇してしまうということもあるのだけど、私が今一番欲しい圧力鍋なんてのは、ホームセンターなどで5,000円もあれば買えてしまうもの。

「だったら買ってしまえ!」と囁く内なる声が聞こえなくもないのだが、躊躇してしまう理由がもう一つ。

それは、普通の鍋で代用可能だということ。
だったら別に買わなくてもいいのでは?なんて思ってしまい、今に至っているのだけれど・・・。

ちなみに2位のブラウン マルチクイックとは、フードプロセッサーとハンドミキサーがひとつになったスグレモノ。これだけなぜかメーカー指定(笑

結局欲しい欲しいと言いながらも、買わないような予感がするのはなぜだろう。誕生日が近くなったら、周りの人にアピールしてみようかななんて、ヨコシマな考えが浮かんでみたりして(笑

でも、世の中には物欲があまりない人というのも存在する。私の友人にもそんな子がいて、特にこれが欲しいとか、あまり思わないそうである。

それが羨ましいかというと、そうでもない。
欲しかった物が手に入った時の喜びというのも、私にとっては捨てがたいものなのである。

自分の欲しい物のために、お金を貯めて貯めて、そしてとびきり上等なものを手にする。
これがきっと、買い物の醍醐味なんだと思う。

そして私は今日も考える。
圧力鍋を買うべきか、買わないべきか。
私の悩みと物欲は、果てしないのである・・・。

 

2006年05月23日
 ■  限りある時間

限りある大切な時間、本当に大切なことのために使っていますか?

ここで言う大切なこととは、自分にとって大切なことという意味。
他の誰かにとっては無意味なことでも、自分が大切だと思えばそれは、大切なことなのです。

最近、「忙しい」「時間がない」という言い訳をよくしています。
誰に対しての言い訳かというと、自分に対しての言い訳なのですが・・・。

やりたいこと、やるべきことがたくさんあるのに、どうもうまくこなせていません。
「忙しい、忙しい」と、いつも言っているような人間にはなりたくありませんが、無意識のうちに、言ってしまっていることがよくあります。

「時間がない」と言っている人ほど、実は時間があったりします。
要するに、時間の使い方が下手なんだと思います。

最近どうも、時間がないと思いながらも、どうでもいいようなことに多くの時間を使ってしまいます。やりたいことは他にあるのに、だらだらとネットサーフィンをしてみたり。

本来ならできていたはずのことが出来ていたいので、それがストレスになってしまい、悪循環です。

でも、本当に自分の好きなこと、やりたいことというのは、どんなに時間がなくてもきっとなんとかしてすると思うんですよね。だから、「やりたいのに時間がなくてできない」と思い込んでいることのほとんどは、純粋に「やりたい!」と思っているのではなくて、義務感を感じているのではないかと、最近思います。

この義務感ってのが私は苦手で、「やらないといけない」と思えば思うほど、やりたくな~いって思ってしまう、なんともあまのじゃくな性格を私はしています(^^;

人生やりたいことだけやって生きていければそれにこしたことはないのですが、やっぱりそうもいきません。優先順位をきちんとつけて、時には自分を律することも必要です。

ここで大切なのが、達成可能な計画を立てること。
例えば仕事が終わって帰宅し、その後自分の自由になる時間が3時間しかないとします。そこに5時間分の計画を詰め込んでもできるわけはありません。

基本的に私は、手帳にその日にすることを書き留めておくようにしているのですが、それでも見たいテレビがある日もあれば、疲れて帰ってきてなんにもしたくない日もやっぱりあります。

そんな時はなんにもしません(笑

時々休みながら、時々一生懸命。
これがストレスを溜めない一番の方法かもしれません。

常に全力投球。
これができればどんなことでも出来るのかもしれませんが、私には少々難しいようです。

時々は休みながら、限りある時間を有意義に使っていければ、それが一番ですね。
私はそう思います。

 

2006年05月19日
 ■  心のフィルター

私の使っているデジカメは、オリンパスのCAMEDIA DIGITAL600。600万画素で、それなりの機能もついています。

でもイマイチ、写真が綺麗に撮れません。

いろんなブログやサイトを見ていると、同じような機能で、同じような画素数のデジカメを使用しているのに、写真がものすごく綺麗に撮れているところがたくさんあります。もちろんレタッチなどをされているのでしょうが、特にお料理ブログなんかをされている人は、本当に綺麗に写真を撮られています。

写真って、カメラの機能だけではなく、写真を撮る人の腕、光の加減、構図などによって、同じものを同じ条件で撮影しても、撮る人によって違いが出てきます。

それに、旅行などへ出掛けて、感動するくらい綺麗な景色に出会ったとします。それを写真に撮影して、いざ出来上がってきたものを見てみると、「なんだか違う」なんて思ったことありませんか?

実際にはすごく綺麗な景色が、写真にしてみるとそうでもないのはどうして?
どうしたら写真をうまく撮影することができるのだろう。
そんな疑問を、家がカメラ屋さんを経営している同僚に投げかけてみました。
すると、その同僚の友人が以前言っていた言葉を教えてくれました。

「人は感動する景色を目にすると、心のフィルターを通して見てしまう。例えばその時の気温、暑いとか涼しいとか。例えばその時の心理状況、幸せだったとか、苦しかったとか。それに風景って、友人と一緒だったとか恋人と一緒だったとか、その時の自分を取り巻く環境をひっくるめて五感で感じるものだから、旅行から帰って来て、その景色を見たときとまったく違う状況で写真を見ると、違うものに見えてしまう」

のだそうです。

写真は、見る人によっても変わってきます。
その写真を見て感動する人もいれば、逆に何も感じない人もいます。

でもできるだけ、自分の感じた感動を写真にも閉じ込めて、後で綺麗だったね~なんて、思い出したりしたいものです。

で、肝心の写真をうまく撮影する方法は?

「構図」

どうやったら、構図を取るのがうまくなる?

「センスの問題」

結局行き着くところはそこですか(^^;

そうなんですよね。
綺麗な写真って、必ずしも対象物自体が正面を向いていなかったり、全部写真の中に入っていなかったりします。

素敵な写真を見て、「あぁ~センスいいな~」と、センスの良さを見極める力はあっても、それを再現する力が私にはありません。
残るはレタッチ能力ですが、それすら怪しいものです。

とりあえず、自分の持っているデジカメを知ることから始めてみたいと思います。
私はきっと、持っているデジカメの機能の半分も使っていないですから。

本当はオートではなく、露出がどうとか絞りがどうとか、いろいろやってみたいのですが、この言葉の意味すら理解できていないのが現状です。

写真撮影素人の私にはまだまだ敷居が高いと思うので、まずはオート機能をいろいろ使いこなすところから始めた方が良さそうです。

えっと、セルフタイマーってどうやるんだっけ・・・。

 

投稿者 Naomi : 個別ページ表示
2006年05月12日
 ■  人の味覚

最近よく思うこと。
なんで味覚って、人それぞれ違うんだろう?

今までは「それが当たり前」だと思っていたので、特に気にすることもなく過ごしていたのだけれど、最近よく思います。

COOKPADというサイトでは、個人のレシピがたくさん紹介されています。
そのレシピについてコメントを書き込む欄があって、「おいしかった」というコメントがたくさんあり、なおかつ写真を見ても本当においしそう。

で、そのレシピ通り、作ってみるわけですよ。
でもなんかイマイチ。

私の料理の腕は置いておくとして、どうも味が濃すぎたり薄すぎたりして、「旨い!」というものになかなか巡りあえません。

これってやっぱり味覚の違いも影響していると思います。
小さい頃から慣れ親しんできた、「我が家の味」がやっぱり基本。

毎日毎日同じものを食べている家族。
夫婦の味覚は同じにならないかもしれないけれど、親子だと、やっぱり同じような嗜好になるような気がします。

しかし、アレルギーは置いておいて、なぜ嫌いな食べものというものが出てくるんだろう?同じものを食べて「旨い!」と思う人と「不味い!」と思う人がいるのはどうしてなんしょうね。同じ味なのに。

かくいう私は肉類全般と貝類がまったくダメです。
お肉は、鶏肉と挽肉以外は食べられません。
貝類に至っては、たぶんこの先一生食べることはないと思います(笑
そこまで言い切れます。

この好き嫌い、克服したいと思っているのですよ。
なんでもおいしそうに食べられる人って、それだけ人生の楽しみが多いような気がします。

私の場合、もともと胃腸があまり丈夫ではないので、ちょっとでも変わったものを食べると、すぐにお腹が痛くなってしまいます。だから海外グルメツアーとか、恐くて行けないのです(^^;

自分で作れば少しは克服できるかと思って、作ろう作ろうといつも思っているのですが、未だに挑戦していません。だから私が作る食事は、魚・鶏肉・挽肉のどれかです(^^;

だからこの好き嫌いを克服することと、数あるレシピを「我が家の味」にアレンジすることが、今の私の「食」の課題です。凝り性だから結構ハマってしまうのですが、同時に飽き性なのでいつまで続くかわかりませんが(^^;

でも人間、食べることからは逃れられません(逃れたくもないけど)。1日3食は必ず必要なわけで、だったらおいしいものをやっぱり食べたい。

今年も残すところ、あと半分とちょっと。
こうなったら「食」をとことん追及してみたいと思います。

 

2006年05月10日
 ■  願いは叶う

願いがひとつ、叶いました。

誰かに話すほどもないくらい小さなものですが、私の願いがひとつ、叶いました。
なんだかちょっと嬉しくて、幸せな気分です。

「絶対叶えたい!」と強く思っていたことではなく、「こうなればいいな~」くらいの気持ちでいたのですが、あっさりと実現してしまいました。

最近とあることを始めたのですが、それがきっかけで話がとんとん拍子に広がって、理想が現実のものとなりました。別にそれを始めたのは、その願いを叶えたかったわけではなくて、ただなんとなくやり始めたことなのですが、案外それが良かったのかもしれません。

私は結構頑固なところがあって、「こうするためにはこれをしなければいけない」なんて、一人で思い込んでしまうところがあるのです。他の方法があるなんてあまり考えずに、力を入れて突っ走ってしまうものだから、どうもぎくしゃくしてうまくいかないんですよね。

「どうしても叶えたい」と強く思えば思うほど、当然思いいれも強くなるわけだから、力が入るのもある意味仕方がないのですが、ちょっとリラックスしてみようかなぁなんて、思い始めました。

願いを叶えることの最大の妨害は、「たぶん無理だと思う」「どうせやっても意味ないし」なんて思ってしまい、逃げ道を作ってしまう弱い心。

失敗したときのことを考えて、ついつい自分で自分の動きにストップをかけてしまうこと、ありますよね。そんな心を持つ自分、他の誰よりも強く、理想を実現したいと思っている自分自身が、一番の障害となっているのです。

「強く願えば、どんなことでも叶う」
半分が真実で、半分が慰め。

この言葉をどちらで受け止めるかで、おのずと結果は変わってきます。
私は真実だと思いたい。

そして私には今、もうひとつ叶えたいことがあります。
「よっしゃ!」って、気合を入れてしまうとなんだか空回りしそうなので、ちょっとスローダウンして、「あれ?もしかして願いが叶っちゃった?」って、後から思えるように、自然に行動に移していこうと思います。

そして、
「強く願えば、どんなことでも叶う」
この言葉って真実だったんだって、しみじみ言えるようになりたいものです。

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2006年05月03日
 ■  身の丈に合った暮らし

「身の丈に合った暮らし」という言葉が、私はあまり好きではありません。

「身の丈に合ったくらし」とは、分相応な暮らし、自分の収入に見合った暮らし、というふうに使われることがとても多い言葉です。

言葉自体の持つ意味はとても意義があり、素晴らしいものだと思いますし、私もその通りだと思います。

ですが、どうも自分を卑下しているようで、私はあまり使いたくありません。なんだか自分で自分の可能性を否定しているような気がしてきませんか?

例えば、支払えもしないのに無理してローンを組んだり、月収の3倍もするようなブランド品を買ってみたりということは、確かに賢い選択とは言えません。
「身の丈に合わない」買い物なのかもしれません。

何か商品を買う時には、それを手に入れた後で支払いをする方法(例えばローンなど)と、支払いをしてから手に入れる方法(それを買うためにお金を貯める)との2種類があります。

一般的に前者の場合は「無駄遣い」と言われて非難され、後者の場合は「計画的」と言われて誉められるケースが多いように思います。(もちろん例外はあります)

はて、なぜでしょう?
同じ商品を購入し、同じ金額を支払っているのにもかかわらず(とりあえず金利は無視します)、その支払い方法によって「身の丈に合う・合わない」が変わってくるのです。

私が思うに、商品を購入する時に、それを買えるだけのお金を手にしていれば、それは自分の収入の範囲内の買い物ということになり、「身の丈にあった」買い物になるのではないでしょうか。

確かに何か欲しいものがあって、毎月少しずつ頑張ってお金を貯めて、実際にそれを手にしたときは、何とも言えない達成感を感じたりするものです。

対して、もうすでに手に入れてしまったものの支払いを毎月続けることは、なんだか無駄な支払いをしているように錯覚してしまいます。自分が手にした物のことなど忘れて。

私は子供の頃から、結構な浪費家でした。
お小遣いなんて、もらった瞬間一気にぱぁーっと使ってしまうタイプ。
それでよく両親に怒られていました。
「身の丈にあった使い方をしなさい」と。

だからこの言葉が嫌いなのかもしれません(^^;

今はどうかと言うと、随分出費を抑えるようにはなりましたが、根本的にはこの性質が根強く残っているようです(^^;

お金がない時は買わない。
どうしても欲しいものがある時には、まずそれを買えるだけのお金を貯めてから買う。

この2つが基本でしょうね。

毎月毎月一生懸命お金を貯めて手に入れた物は、それだけ思い入れも強く、手に入れた後も大切に使っていくものだと思います。

自分のためにも、「物」のためにも、とても有意義な買い物です。

ですがやっぱり「身の丈に合った暮らし」という言葉は使いたくありません。
なのでそうですね、「自分に優しい暮らし」とでも言っておきましょうか・・・。

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2006年04月22日
 ■  スーパーの誘惑

最近の私、スーパーの誘惑と戦っています(笑

夕飯を作るようになってから、以前よりスーパーへ買い物に行く機会が増えたのですが、日々誘惑と戦っています。スーパーって、どうしてあんなに魅力的なのでしょうか。

冷蔵庫のあり合わせで何かを作るなどという高度なワザはまだできないため、献立を考えてから足りない食材を買いにいくのですが、ついついいらないものまで買いそうになってしまいます。

食費の節約などを考えられるレベルではないので、値段のことはあまり気にしていないのですが、それでも「広告の品」とか書いてあると、「ああ、きっと安いのね」と無条件に信じて買いそうになってしまいます(笑

安い品物が例えば洗剤なんかだと、どれくらい安いのかなんとなく分かるのですが、生鮮食品などは、全部グラムで値段が書いてあるんですよね・・・。

赤字で「98円」とかでーんと書いてあるその隣に、小さく「100g」とか書いてあります。「98円?安い!」と思ってパックを手に取ってみると、300gとか入っているわけですよ(^^;

毎日食事の支度をしているスーパーな主婦の方たちは、たぶん慣れていて、それがどのくらい安いのか、高いのか、別のお店の方がもっと安いのか、などということが分かると思うのですが、未熟者の私にはさっぱりわかりません。

コンビニと違ってスーパーって、毎日何かしら安くなっているのですよね。冷凍食品だったり、お菓子だったり、賞味期限ぎりぎりの食品だったり。

元来買い物好きの私(バーゲンも大好き!)、そういう商品が陳列している棚の前を素通りするのは至難の業です(笑

そういえば、スーパーに限らず、コンビニや雑貨屋さんでもそうですが、レジの近くに小物とかお菓子とか置いていますよね?あれって、「ついで買い」の心理を利用した陳列なのだそうですが、それともうひとつ、万引き防止の役割もあるようです。
小売業も色々大変なのですね(^^;

でも、「安くて質の高い商品」を見極めることって、すごく難しいです。
100円ショップが良い例です。
100円だからといって、安いと思ってなんでもかんでも買っていたら、実はスーパーの方が安かった、なんてこともよくあります。

また例えば、ある商品、なんでもいいのですが、とりあえず辛子明太子とします。(理由:単に私が今食べたいから(笑)
この辛子明太子が、100円ショップで300円で売られていたとします。

他の商品は全て100円。
それなのに、辛子明太子だけが300円。
「高い」と思ってきっと私は買わないと思います。

でも、違うお店で同じ辛子明太子が500円で売られていたとします。
そのお店の商品は全て1,000円。
それなのに、辛子明太子だけが500円。
たぶん私買います(笑

100円の商品に囲まれた300円の商品と、1,000円の商品に囲まれた500円の商品。
500円の商品の方がお得だと、ついつい錯覚してしまいます。

たぶんこの買い物で失敗しないのは、辛子明太子の相場が大体どのくらいで、どんな種類でどんな品質だったらこのくらいの値段になる、ということが分かっている人たちでしょう。

「騙された」という言い方は適当ではありませんが、あえて騙されたとするならば、それはきっと、騙されてしまう私が悪いのでしょう。

店側は、商品を買うことを強制していません。
その商品を買うかどうか決めるのは、消費者である私です。

大切なのは、本質を見極める力を養うということですね。
私はまだまだ、ぜんぜん、まったくそんな力はありません。
こればっかりは経験がものをいうのだと思います。

最近スーパーの折込広告を見るのが楽しくて仕方ない私。
ゆりみそさんみたいに、私も底値帳を付けようかしら。

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2006年04月18日
 ■  すぐ、やる

最近の私、どうもいろんなことに対してモチベーションが下がり気味です。

モチベーションが下がるとどうなるか。
いろんなことを後回しにしてしまうんですよね。私の悪い癖なんですけど。

「やろう」という気持ちはあるので、あれをしよう、これをしようと、いろいろ思い描いてはみるものの、もうちょっと後で、とか、次の休みの日に、とか何かと後回しにしてしまうのです。

それで休みの日にそれをすればいいのですが、結局やらない。
なんともだらだらとした日々を過ごしてしまっています。

スローライフと言ってしまえば聞こえはいいですが、ゆっくり過ごすことと、だらだら過ごすことは根本的に違いますよね(^^;

これではいけないと思い、最近は「面倒くさい」という言葉が頭に浮かびそうになると、まるで呪文のように「すぐやる、すぐやる」と唱えています。

すると不思議なことに、案外すんなりできたりするのです。
とは言っても、怠け心が勝利してしまう時もあり、私の意志の弱さが浮き彫りになっています(^^;

「疲れているのかも」とか「季節の変わり目だから」とか自分に言い訳しつつ、そんな自分を叱咤激励しつつ、悶々と過ごす日々にそろそろ疲れてきました(笑

完全復活にはもう少し時間がかかりそうですが、ぼちぼち頑張ります。
人生長いですし、時にはこんな時期もありますよね。
あまり無理をせず、自分を適度に甘やかしながら、この「モチベーション下降現象」を乗り切っていきたいと思います(^^;

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投稿者 Naomi : 個別ページ表示
2006年04月11日
 ■  周りに映る私の姿

私の印象として何気によく言われるのが、「しっかりしているね」という言葉。

子供の頃からよく言われていました。
自分ではまったくそんな風に思ってはいないのですが、周りにはどうもそう見えるようです。

今日も生徒さんの一人から言われました。
「先生、しっかりしてるから、親に怒られることなんてないでしょう」

いやいや、全然そんなことはありません(^^;
よく怒られますよ。
無駄遣いしすぎ、とか(笑

この歳になってまで、親に怒られたくはないと思うのが正直なところですが、親にしてみれば、いつくになっても子供は子供なんでしょうね。

さて話を戻しますが、「しっかりしている」と言われることについて。
別に嫌ではありませんし、むしろ嬉しいくらいです。

自分ではしっかりしているつもりはないのですが、「しっかりしている人」に見られたいという気持ちは常にあります。なぜなのかはよくわかりませんが、「頼りない」と言われるよりは、「しっかりしている」と言われた方が嬉しいものです。

私は昔から、「自分を持っている女性」というものに強く憧れを抱いています。
私が今まで出会って来て、素敵だなと思った女性は、ほとんどの人が確固とした意思を持っています。
だからその影響で、そういう風に思うのかもしれません。

以下、私が考える、「自分を持っている女性」です。

・人の意見に左右されない
・かと言って、聞く耳を持たないということではなく、周りの意見はきちんと認め、その上で自分の意見を発言できる
・物怖じしない
・自分を卑下したり、相手を見下したりしない
・決して諦めない。が、自分に合わないと思ったら潔く方向転換

まさに私の正反対であることは、文章のほとんどが否定形であることが如実に物語っているような気がする・・・。

自分のなりたい自分にはほど遠い私ですが、
本当の意味で「しっかりした」素敵な女性になりたいものです。

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2006年04月09日
 ■  出会いを大切に

「出会いを大切に」。
これをモットーにしている人って、結構たくさんいるのではないでしょうか。

私は普段、「出会いを大切にしよう」と強く思いながら暮らしているわけではありませんが、ふとした瞬間にそういう風に思います。

どんな人とどんな風に出会い、その後どんな風に関わりを持つことになるかは分かりませんが、もしかしたら人生のパートナーになったり、無二の親友になったりするのかもしれません。

私は当初この言葉は、新しい出会いは大切にし、いろいろな人たちと出会える場所へは積極的に出掛けていく。どちらかというと、また出会っていない人たちと出会えた時には、その繋がりを大切にしようという、未来系の意味として受け止めていました。

でもそれだけではないのだということに、最近気が付きました。

もちろんこれからの出会いも大切にするべきですが、それだけではなくて、過去に出会った人たち、つまり今自分の周りにいてくれる人たちを大切にするという意味も含まれていると思うのです。

生まれた時からそばにいてくれる家族、初めて出会ったのはいつかなんて、もう覚えていないくらい付き合いの長い友人達。そして恋人(いませんけど^^;)。

出会えたことに感謝して、周りの人たちを大切にすることが、「出会いを大切にする」ということなのではないかと、最近思うようになりました。

そうは言っても、この歳になってもまだ親子ゲンカもしますし、友人の言った悪気のない一言にムッとしてしまうこともあるこの私。

人間、考え方はそれぞれ違うので、多少の衝突はやむを得ませんが、それでもあまりに大人気ない行動をしてしまうこともある、私は小さな人間です。

それでも変わらず、私のそばにいてくれる人たち。
そんな人たちを、とても大切に思います。

「あなたのことをとても大切に思っています」なんて、恥ずかしくて口には出せませんが、もしも何か困っていることがあるのなら、力になりたいと、心から思っています。

「出会いを大切に」
今から出会うであろう人たちと、もう出会っている人たち。
その両方を大切にすること。
この言葉の真意は、ここにあるのではないでしょうか。

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2006年04月06日
 ■  「面倒くさい」で損すること

面倒くさい。
広島弁で言うと、「たいぎー」となります。

もともと面倒くさがり屋さんのあなたも、そうでないあなたも、一度は「面倒くさい」と思ったことはあると思います。

もちろん私もあります。

例えば、夏休みの宿題をするのが面倒で、ついつい後回しにしてしまったとか、階段を上がるのが面倒で2階へ行くだけなのにエレベーターにのってしまったとか。

そんな経験は誰でもあると思います。

でもこの「面倒」なことをしないと得られないものがあるんですよね。
言い方を変えると、「面倒」なことを避けることって、実はすごく損をしているように思うのです。

そんなに難しいことではなくて、ちょっと料理の工程を例にとってみます。

5つの段階を踏んで、完成する料理があるとします。
その工程を確実に踏めば、すばらしくおいしい料理が完成します。
でもちょっと面倒だし時間もかかるので、2と3の工程を飛ばして作りました。
そして出来上がったものは、すばらしくおいしくないものでした・・・。
・・・終わり。

なんのこっちゃと思わないでください(^^;
つまりはそういうことです。

2と3の工程を飛ばしたので、時間の短縮にはなりました。
でも、全然おいしくないものが出来てしまったので、料理に費やした時間を全て、結局は無駄にしてしまっているのです。

そればかりか、料理をおいしく楽しむ時間までも逃してしまっているのです。
「面倒くさい」と思ってしまったが故に。

料理に限らず、自分の望む物を手に入れるためには、少なからず「面倒」なことをこなしていかなければいけないものです。楽をして、すばらしい成功を手に入れようなんて考えは、捨てたほうが自分のためです。

私は基本的に面倒くさがりです。
今までいったいどれだけのことを「面倒くさい」と思って、やらずにきたことか。

人間は楽な方に流される生き物なので、ある程度までは仕方ないのかもしれませんし、「楽をしたい」と思い続けてきたからこそ、文明が発達してきたこともまた事実です。

でも、「あの時あれをしておきさえすれば・・・」という後悔は、もうしたくありません。
そうはいってもやっぱり面倒くさい。
私の思考回路は、そんなことを繰り返しています(^^;

「面倒くさい」と思わないためにはどうしたらいいか。
てっとり早い解決方法は、それを「習慣」にしてしまうことではないでしょうか。

例えば、私は朝起きたらまず顔を洗います。
「面倒くさい」という理由で、それをしなかったことはありません。
それはなぜかというと、やっぱりそれが習慣になっているからだと思うのです。

「面倒くさい」と思う間もなく、身体が勝手に行動しています。
だから、本当はやってみたいのだけど、なんだか面倒、と思っていることを自分の生活習慣の中に組み込んであげれば、意外とすんなりできるのではないでしょうか。

ただ、全部が全部、習慣にできるような事柄ではありませんので、そこが難しいところですが、それは訓練(?)次第。
「面倒くさ~い」と思って、だらだらとこの先の人生を過ごしたくはありませんからね(^^;

ということで、とりあえず今年の目標の中に、「面倒くさいって言わない」というのを追加したいと思います。今年の目標と言っても、もう3ヶ月経過してしまっているのですけれど・・・。
しばらくはこの目標を忘れずに過ごしていきたいです。

まっ、たまには息抜きも必要ですけどね(笑

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2006年04月04日
 ■  ハンカチ持ってますか?

先日、とあるショッピングモールへ行った時の出来事。

買い物の合間にトイレへ行きたくなって、ショッピングモール内の化粧室へ。
春休みということもあって、店内も駐車場も人がたくさんいたのですが、化粧室も同じく長蛇の列。私は特に急いでもいなかったので、列に並んで順番が周ってくるのを待っていました。

と、そこへ一人の女性がトイレから出てきました。
私と同じ歳くらいなのかな?すごく綺麗な人で、ファッションも素敵。思わず目で追ってしまいました。

普通、トイレから出てきたらまず手を洗いますよね?
もちろんその人も蛇口をひねり、手を洗おうとしていました。
と、ここまでは普通。

問題なのはその後です。
どうも急いでいたようで、思いっきり蛇口をひねり、手を洗うというよりも手に水をかけて、出ている水を最後まで止めずに、そして、その手を拭く間もなく急いで出て行ってしまわれました・・・。

水、止めようよ。
手、拭こうよ。

思わず心の中でつぶやいてしまいました(^^;
人のそんな行動を観察している私も私ですが、あまりにも目に余る光景でした。
せっかくの素敵な雰囲気が、一気に台無しです。
その手は、いったいいつ拭くんだろう・・・。

ハンカチを忘れることくらいあるでしょうけれど、最近のトイレには、温風が出てきて手を乾かす機械(なんていうんでしたっけ?あれ)がちゃんとついているのに、それさえ使わずどこかへ行ってしまわれましたよ。

「今日は化粧ののりがいい」とか、「髪形がきまってる」などということは、あまり人には気付いてもらえず、結構自己満足の世界だったりするのですが、何気ないマイナスの一面は、意外と周りに見られています。

やっぱりいくら外見だけきれいにしても、内面がそれに伴っていないと、知らず知らずのうちにひょっこり顔を出したりするのですよね。

私も、人の行動に文句をつけられるほど立派な人間ではありませんが、ちょっと気をつけようと、改めて思いました。いくら綺麗に着飾っても、メッキはすぐにはがれてしまいます。

どこかのお店などで接客を受けるときに、同じように笑顔で接してくださっても、感じのいい人と感じの悪い人っていませんか?外面だけいい人って、なんとなく分かってしまうんですよね。

私も仕事では接客をする側の人間です。
ばれないように、いや、ちがう、心からのおもてなしが出来るように、自分の内面を、そしてもちろん外面も磨いていきたいと思います。

しかしあの綺麗なお姉さん。
あの手をどこで拭いたのでしょうか。
やっぱり自然乾燥?
微妙に気になります(^^;

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2006年03月27日
 ■  突然訪れる憂鬱の原因

私は時々、突然理由も無く、
憂鬱な気分に襲われることがあります。

本当に理由がわからない。
特に悲しいこととか、嫌な出来事があったわけでもなく。
ある日突然憂鬱になるのです。

朝起きるとブルー。
仕事に行ってもブルー。
家に帰ってきてもブルー。

もうたちが悪くて、手に負えません。

原因がわかっているなら、対処のしようもあるのですが、
どうしてこんな気持ちになるのかまったくわからないので、
どうしたらいいのか分かりません。

唯一の救いは、
体調には影響しないということ。

いくら憂鬱でも、
食欲も落ちないし、
不眠症にはならない。

だから身体を壊すこともなく、
なんとか仕事にも行けています。

私の気分には波があって、
すごくハイなときと、ローのときと、ノーマルの時。
この3つがローテーションしています。

誰もがそうなのかもしれないけれど、
これを自分でコントロールできないのが、
無性に悔しかったりします。

どうして自分の気持ちなのに、
自分でコントロールできないのだろう?
そんなことを考えてしまうのは、
たいがいテンションが落ちている時なのだけれど。

ローテンションの時は、
本当に何もする気がおきません。

だけど私は社会人。
する気がおきないからといって、
仕事をしないわけにはいかないので、
なんとか外にはそんな気分を出さないように、結構必死です。

必死で頑張るから、余計に疲れる。
結果、帰宅したらぐったりしています。
もう本当に悪循環。

そんな時は、抵抗しないことにしています。
どっぷりと暗い気分にひたって、
とにかくその時やるべきことを淡々とこなす。

そうやって日々を過ごしているうちに、
気がつくと、いつもの穏やかな気持ちに戻っていきます。

なんなんでしょうねぇ?
この憂鬱は。

みなさんはそんな経験はありませんか?

ちなみに今は、
ハイでもローでもなく、いたってノーマルです^^

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2006年03月25日
 ■  できることと、できないこと

どんな希望も努力すれば叶えられる。
そう信じたい気持ちはやまやまですが、人にはどうしてもできないことというものがあります。
悲しいかな。それは真実。

例えば。
女性なら誰もが、美しくありたいと思うことでしょう。
そのためにダイエットをしたり、エステに通ったり、日々お肌や髪のお手入れにいそしんでいるのです。そして頑張れば、理想の体型になれたり、美肌を手に入れたりすることが可能です。
これらは全て、自分の努力次第で達成可能なものたち。

ですが例えば、あなたが「エビちゃんになりたい」と願ったところで、それは無理です。なぜなら、あなたはエビちゃんではないから。
メイクやファッションや髪型を真似れば、「エビちゃん風」にはなれるかもしれません。でもあなたの顔とエビちゃんの顔を明日から付け替えることはできません。

人はないものねだりの生き物です。
人が持っていて自分が持っていないものがあると、どうしてもそれが欲しくなる。そしてそれを手に入れることができないと、どうして手に入らないのかと嘆き悲しんでしまうのです。自分が、自分だけが持っているものの大切さにも気付かずに。

憧れの存在や、自分の理想に近づく努力を続けることは、もちろんとても素晴らしいことです。それと同じように、現状の自分を受け入れて、今置かれている環境の中でベストを尽くすこともやっぱりとても素晴らしいことだと思うのです。

自分が今勤めている会社でもらっている給与が、仮に月に20万だとします。でも月100万はほしい。(あくまでも一例ですよ(笑)そして、自分の希望を会社に伝えたとして、来月から月100万の給与がもらえるかというと、どう考えても無理です。

あとプラス80万は収入がほしい。
収入を増やすためにはどうしたらいいか。それを考えて実行するものいいのですが、そうではなくて、今もらっている給与の中で、どうやったら楽しく暮らしていけるかを考えることも大切だと思うのです。

自分が持っていないものを求めるのではなくて、自分が今持っているものを最大限に活かす方法を考える。時には、こういった発想の転換も必要です。

こうやって書き出してみると、結構当たり前のことだったりするのですが、それを当たり前だと感じ、実行していくのって、意外と難しかったりします。

どう頑張ってもできないことがあります。それに固執するあまり、今自分が持っている大切な何かを見失わないように。

新しい何かを手入れるための努力は惜しまず、なおかつ自分が今持っているものも大切にする。

これが、私にとっても、全ての人たちにとっても、ベストな状況なのではないでしょうか。

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2006年03月16日
 ■  孤独と自由

孤独と自由は紙一重。
もしかしたら、本質的には同じことなのかもしれない。

孤独も自由も、日本語としての意味は定義されてはいるものの、人によって捉え方はさまざまです。一般的には、「孤独=寂しい」、「自由=誰にも、何にも縛られていない」といったところでしょうか。

昔々、私が今よりもっと若かった頃。
親元から離れたくて仕方がない時期がありました。
ある一定の時期には誰しもそう思うことはあるだろうし、取り立てて特別な感情でもありません。学生の頃だったので、あれこれと口うるさく言われること少々にうんざりしていたこともあったのでしょう。

で、高校卒業後、念願叶って一人暮らし。
寂しくて泣きましたよ私。初日から(笑
いわゆるホームシックってやつですが、すご~く寂しくて、あの時の気持ちは今でもよく覚えています。

一人暮らしに慣れてくるとだんだん楽しくなり、自由を満喫していたのですが、それでも体調が悪い時、寒い冬の夜、冷え冷えとした真っ暗な部屋へ帰ってきたときなどは、一抹の寂しさを感じたものです。

それが原因というわけではりませんが、私は再び実家に戻り、今では親元で暮らしています。そしてまた、家を出て一人暮らしをしたいと思っています。

学生の時に思っていた自由とは、誰にも縛られず、ただ自分の思うがままに生きるということでした。そこにはなんのかげりもなく、あるのはただ、自己満足な喜びと、両親に支えてもらっているからこそ暮らしていけるのだということを忘れ、感謝の心を持たない私。

大人になるにつれて、自由には責任が伴うのだと実感していきます。私は今の暮らしを窮屈に感じているわけではありません。それでも家を出たいと思うのは、自由になりたいというよりも、自立したいという思いのほうが強いから。

精神的にも、経済的にも、自立して、自分の足で立っていたいと願う気持ちがすごく強いのです。そして、自立して自由になったら、やっぱり孤独も感じてしまうのだろうと思います。

他の誰かの意見ではなく、自分の意見、自分の意思を貫き通すということは、そこに孤独がつきまとうということだから。ですがそれは、一人でいることが寂しいということではなく、人とは違う自分だけの意見を持つことによって生まれるものだと思うのです。

だから自由の意味を履き違えると、孤独感だけが募ってしまい、いたたまれない気持ちになることでしょう。自由とは決して、自分一人で自分勝手に生きていくことではありません。

そう思うようになった今だからこそ、家を出て自分ひとりでやってみたいと、強く思うのかもしれません。

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2006年03月10日
 ■  美しいもの

人はなぜ、綺麗なもの、美しいものに心惹かれるのでしょうか?

美しいもの。
世の中にはたくさんあります。

おしゃれなレストラン、トレンドの洋服、きれいにディスプレイされた雑貨たち。
そんなものが目に入って来ると、ついつい足を止めずにはいられない。
女性なら、そんな経験が少なからずあると思います。

また同じように、そんな美しいものを表す言葉も、たくさんあります。
ただ単に、キレイ、美しい、と言うよりも、例えば、「きらきら輝いている」とか「さらさらの肌触り」と、形容した方が、より心惹かれるのではないでしょうか。

これに濁点がつくと、一気に心が冷めるのだけど。
「ぎらぎら輝いている」「ざらざらの肌触り」
ちょっと嫌です。
ぎらぎら輝きたくはないし、ざらざらの肌触りはごめんこうむりたいです(笑

と、話が逸れました。

人の五感の中で、「見る」という感覚。すなわち目から入ってくる情報というのが、最も強く印象に残るそうです。つまり、すばらしく美しいものを目にした時のことはよく覚えているし、逆にすばらしく美しくないものを目にした時もまた同じ。

「ものの価値は見た目だけでは決まらない」
これ、正論です。
が、しかし、物事の判断基準の中で、見た目が重要な位置を占めていることも否めません。

そんな心理をうまくついているのが、テレビのCMや、きれいにディスプレイされた雑貨屋さんやブティックなどなど。もう購買意欲をそそられまくってしまいます(笑

キレイな女優さんなどが化粧品のCMなどをしていると、ついつい自分もあんな風になれると勘違いしてしまいます。かくいう私も、「お嬢様フェイス」になりたくて、カネボウの化粧品カウンターに足を運ぶということをやらかしてしまっています。なれませんでしたけど(笑

人が何かを買う時は、その商品が欲しいというよりは、その商品を持っていることによって得られるステイタスや、その商品を使ったことによって得られる効果などを期待するからだと言います。

ダイエット食品を例にとると、ダイエット食品そのものが欲しいわけではなく、みんな痩せたいから購入するわけです。だから、きれいな女優さんがCMをしていれば、自分もきれいになれると思ってしまいますし、素敵な洋服を見つけたときには、それを着て街を歩いている自分を想像してしまうわけです。

それが悪いことだとは思いません。でもなんだか本質を見抜く力を失っているような気がするのです(私の場合、ですが)。女優さんがCMをしている化粧品や、華やかな店内に置いてある洋服などというものは、大体において値段もそれなりにします。
確かに、本当に良い素材を使って、質の高い、良い商品なのかもしれません。

ですが、ドラッグストアにうず高く積まれた商品の中に、お宝を発見することもありますし、チープな洋服屋さんや古着屋さんで、意外な掘り出し物を発見することもあります。

そういう、良いものを探す努力を、惜しんではいけないなぁと思うのです。この場合の「良いもの」とは、あくまでも自分の価値観に照らし合わせてです。単純に値段の高低を言っているのではありません。

自分にとっての良いものの判断基準が、テレビCMや雑誌だけというのでは、ちょっと悲しすぎます。自分のライフスタイルに当てはめてみて、必要なもの、そうでないもの。必要ではないけれど、それがあることによって、自分の心が豊かになるもの。そういうものを見極めたいのです。

まだまだ周りの影響を受けやすいこの私。
「本質を見極める力」を、びしばし付けていきたいなぁと、最近思っています。

でもやっぱり、きれいなものは好きなのよ(笑
そんな自分の矛盾に、頭を抱えています・・・。

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投稿者 Naomi : 個別ページ表示
2006年03月08日
 ■  プラス志向

最近、プラス志向って大切だなぁとしみじみ思います。

この記事を書くにあたって、「プラス志向」と「プラス思考」、どちらが正しいのかよく分からなかったので、Googleで「プラス志向」と入力して検索してみました。すると検索結果の上のほう、欄外に、

もしかして:プラス思考?」
という文字が。

Googleさん、なかなかおもしろいです。
親切なのか、そうでないのか私には判断できませんが(^^;

さて、本題に入ります。

問題(1)
目の前に食材が並んでいます。
数種類の野菜、お肉、卵、などなど。
そして今、とてもお腹が空いています。
そんな時、あなたならどう考えますか?

1.何を作ったらいいのかわからないよ。でもお腹は空いているし。どうしよう。
2.こんなに食材がいっぱいある。さて何を作ろう。考えるだけでわくわくしてくる。
3.とりあえず、生のまま食べられるものをそのまま食べようかな。

問題(2)
とても重大な仕事を任されました。
それは今までに手がけたことのない分野。
知識も経験もゼロ。
しかも上司はあなたに一任すると言っています。
そんな時、あなたならどう考えますか?

1.絶対無理。できない。でも仕事だから断れないし。ああ、どうしよう。
2.不安は大いにあるけれど、でも上司が私に任せると言ってくれている以上、私にはそれをやり遂げるだけの力があるんだ。さあ、何から手を付けよう。なんだかわくわくしてきた。
3.えーい。適当に理由を付けて、この仕事は同僚のAさんに回しちゃえ。

どれか当てはまるものはありましたか?
答えのうち、1番はマイナス志向、2番はプラス志向、3番は論外です(笑

こうやって見てみると、プラス志向の人はなんだか楽しそうです。どんな状況でもそれを楽しみに変える力を持っている人が、プラス志向の人なのではないかと思うのです。

もちろん、向き・不向き、趣味・嗜好はありますし、そんなに物事は単純ではありません。どう考えても楽しめない状況もたくさんある事は、百も承知で書いています。

でもやっぱり、この世に生を受けた以上、人生楽しいほうがいいよね?

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2006年03月07日
 ■  行間を読む

人が書く文章には、書き手の人柄が滲み出ているような気がしてなりません。

私はもともと文章を読むことがとても好きで、いろいろな人たちが書くブログをお気に入りに入れて、欠かさずチェックしています。顔も名前も知らない人たちなのに、毎日その人の書く文章を目にしているうちに、なぜだかものすごく親近感が湧いてくるから不思議です。

文章の上手い・下手ではなくて、なんというか、言葉の使い方一つとってみても、性格の違いが現れていて、「この人は優しそう」とか、「この人は裏がなさそう」とか、書き手の意図するところとは違うのかもしれませんが、文章からいろいろなことを感じてしまいます。そして、その文章を書いた時の気持ちとか、はっきり言葉にはしていないけれど、その人が本当に伝えたいことなどを、無意識のうちに読み取ろうとしてしまいます。

私はオフ会というものに参加したことはありませんが、自分の中で勝手に作り上げたイメージと、実際にその人に会って話した時のギャップって、いったいどれくらいのものなんだろうかと、ちょっと興味があります。想像どおりの人かもしれないし、全然イメージとかけ離れているのかもしれない。どちらにしろ、多かれ少なかれギャップはあるでしょうね。(良い意味で)期待を裏切るというところがまた楽しいのかもしれません。

だけど知っている人が書いた文章の場合。書き手の性格を知っているが故に、どうしても先入観を持って読んでしまうため、そこに書いてあることだけをそのまま受け止めます。別にそれがいけないということではなくて、たまに違和感を感じてしまったりすることも。

普段接する機会が多いと、その人のことをすべて分かっているつもりになっているところがありますが、その人の書く文章でたまに意外な一面を見ることもあり、やっぱりブログっておもしろいなぁと思います。

ちょっと前までは、日記って、自分のために書いて、自分だけが見るものでしたよね。それが今ではブログというツールを使って、世界中に発信している。こう書くと大げさに聞こえるかもしれませんが、でも事実です。

人によっては、思いっきり自分をさらけだしているので、知り合いには絶対に教えられないと言っている人もいますが、私はこのブログ、結構オープンにしちゃってます。会社の同僚も、友人も、お客さんも見ちゃってます。もしかしたら、自分のことをもっと知ってもらいたいという願望の現われなのかもしれません。普段そこまで意識しているわけではないのですが。

さて、そんな人柄がどうしても滲み出てしまうブログ。
私の書く文章は、読み手のいなさまにどんなイメージを与えているのでしょうか。
そして私は、どんな性格だと思われているのでしょうか。
聞きたいような、聞きたくないような、複雑な心境です。

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2006年03月02日
 ■  アンチエイジング

2006年6月16日~18日まで、お台場のホテルグランパシフィックメリディアンにて、第1回アンチエイジング国際シンポジウム&エキスポ東京が開催されます。こちらのインターネット部門、ライフスタイルのコーナーで、私の本家サイト、スローライフのススメを取り上げていただきました。

私のインタビュー形式の記事が掲載されていますので、よかったらご覧ください。
日常を楽しみ、心を錆びさせない生活

最近よく耳にする言葉、「アンチエイジング」。直訳すると、「アンチ=抵抗、反抗する」「エイジング=加齢」となり、言うなれば加齢を止める、加齢に反抗するということになります。

人間誰しも歳をとります。それは当たり前のことで、決して悪いことではありません。20代には20代の、30代には30代の、40代には40代の、その年齢でなければ出せない輝きというものがあります。
ですから、「歳を重ねる=悪いこと」という図式に抵抗することこそ、アンチエイジングではないかと私は考えています。

「老いる」とか「老ける」といった言葉は、あまりいいイメージで使われることはありません。特に日本では、若ければ若いほど良いという風潮があるのではないでしょうか。確かに歳を経ることによって生じるハンディキャップのようなものはあります。私は現在31歳。10代の頃は難なくできたことが、今同じことをしろと言われてもそう簡単にはいきません。

それは体力的なものであったり、外見的なものであったり、精神的なものであったり。でも逆に、10代の頃にはとうていできなかったことが、31歳になった今だからこそできたりするものです。

果たして、「若い」という言葉は誉め言葉なのでしょうか。5歳の子供に向かって、「5歳なの~。若いわね~」と言ったところで、その子供が喜ぶとは思えません。ちょっと例えが極端ですね(^^;

でも私の場合、「若く見える」と言われると、反射的に喜んでしまいますが、どうして自分が喜んでいるのかよくわかりません。潜在意識の中に、「若いことは良いこと。若くないのはいけないこと」というのがインプットされているのかもしれません。

もちろん赤ちゃんのようなもちもち肌には憧れますし、いつまでも健康でいたいと思うのもまた事実。だけどそれだけではない何かが、私の心の中に刷り込まれているような気がしてなりません。

歳を重ねるごとに、よりいっそう輝きを増していく人達がいます。それはきっと、美しくあろうとする努力、健康であろうとする努力、そういったものとともに、10代の頃の恐れを知らない気持ちとか、未来に対する希望とかを失っていない人たちなんだと思います。そこに経験という貴重な財産が加わって、その人にしか出せない輝きを放っていくのでしょうね。

自分にも周りにも優しく、美しく健康で、人を妬まず、未来を恐れず、そして希望を失わず。
私もそんな風に、素敵に歳を重ねていきたいものです。

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2006年02月27日
 ■  名前

自分の名前を自分で決めることができないのと同じように、自分のニックネームも自分では決めることができません。

自分の名前を自分で決めたいと思ったことありませんか?私は子供の頃ずっとそう思っていました。もっと可愛らしい、女の子らしい名前にずっと憧れていました。
名前を変えられないのなら、せめてニックネームくらい自分で決めたいと常々思っていたのですが、それも叶わず(笑
ちなみに子供の頃のニックネームは「なっち」でした(^^;

ニックネームって、誰が最初に付けるんでしょうね?
気が付いたら愛称で呼ばれることが多くて、いつ誰が付けたのかはっきりしない場合が多いですよね。少なくとも私は、誰かのニックネームを考えたことはありません。

赤毛のアンのアン・シャーリーは、自分のことを「an」ではなく、最後にnを二つ重ねて「ann」と呼んでほしいと周りの大人たちに言うのですが、この気持ち、ものすごーーーくよく分かります。やっぱり可愛い名前って憧れですよ。「an」でも「ann」でも発音に大差はないと思うのですが、要は気持ちの問題なのでしょうね。

そうは言ってもこの私の名前、きっと両親が一生懸命考えて付けてくれた名前なんだろうと思い、以前母に私の名前の由来を聞いた時ことがあるのですが、なんだか適当にはぐらかされました(^^;
適当につけたのか?いや、そんなことはないはずです。ないと思いたい(笑

ちなみに私の憧れていた名前は、2文字の名前。「ゆか」とか「りか」とか「ちか」とか。なんだか「か」ばっかりついていますが(笑、2文字の名前って、呼び捨てで呼びやすいと思いませんか?

私は昔から、名前を呼び捨てで呼ばれることがあまりありませんでした。いつもニックネームだったり、○○ちゃんと、ちゃん付けだったり。だから呼び捨てで自分の名前を呼ばれることに、ほのかな憧れを抱いていました。
だからと言って改名するほどのこともなく、今までこの名前で生きてきたわけですけどね。

名前って、単にその人を識別するだけのことではなくて、もっと深いところで意味があるような気がします。自分の親が、「こんな風な人間に育ってほしい」と願ってつけたであろう自分の名前。
どんな名前にも意味があり、意義があります。

子供も大きくなるにつれて自我が生まれ、必ずしも親が願っていたような生き方はしなくなりますが、それでもやっぱり両親が、自分のことを思って付けてくれた名前。
大切にしないといけませんよね。

そんなことを言いつつも、2文字の名前っていいなぁと、やっぱり思ってしまう天邪鬼な私なのでした(笑

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2006年02月25日
 ■  自分のための日記

日記を付ける習慣のある人っていますか?
ブログではなく、本当に自分しか見ない、自分のための日記です。

私はね、何度か書いていたことはありました。
普通のノートに、えんぴつで。
でもダメですね。すぐに飽きてしまって続きませんでした。

そしてパソコンを買い、今はこうしてブログで日々の出来事などを書いているわけですが、やっぱり書けないこともあるのです。個人名などはもちろん出せませんし、1日の出来事を事細かに書くと、不都合が生じてしまう場合もあります。

ブログを書きつつ、日々の日記も自分のために書く。
今までそんなことを考えたこともなかったのですが、おかざきせんせのつづけるブログの記事を読んで、ちょっと書いてみようかと思っています。というか、昨日から書いています。

おかざきせんせのおすすめは、エクセルで日記を付けること。
ちゃんとエクセルファイルのテンプレートがダウンロードできるようになっているので、私も自分のPCに落としてみました。とりあえず自分なりにちょこちょこカスタマイズしてみて、使いやすいように変えてみましたよ。

このファイルの良いところは、例えば今日(2月25日)の隣に、来年の同じ日付が並んでいるところ。来年の2月25日には、1年前の自分が何をして、どんな気持ちでいたのかすぐに見られるようになっていて、これって実際に来年になってみると、結構感慨深いだろうと思います。

その他にも、長期目標や短気目標などを書き込むスペースも設けられていて、すごく書きやすいものになっています。

私には、ある大きな夢があります。
ちょっと前までは、大きすぎて届かないだろうと思っていたのですが、最近少しずつ形になりつつあります。なので、それを実現するためにも、この日記を続けてみようと思っています。

夢や目標って、紙に書いていつも見えるところに置いておくと実現しやすいと、よく言われていますよね。私もこの日記で夢を再確認することで、モチベーションの維持と、行動力アップを期待したいと思います。

おかざきせんせのつづけるブログでは、6回に渡って日記をつけることについて書いてありますので、興味のある方は遊びに行ってみてくださいね。エクセルのファイルもダウンロードできますよ♪

茶飲み日記も更新しています。よかったら遊びに来てくださいね(^^)

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2006年02月16日
 ■  好奇心

人生とは、謎に満ちている。

その謎を解き明かしていくのがまた、楽しかったりする。

思い起こせばあれは私がまだ、物心ついたばかりの小学生の頃。
漫画か何かの全員プレゼントでもらった、おもちゃの秤。
当時の私には、「自分の物」と言えるほどのものはまだ少なく、とにかくその秤をもらったことがとても嬉しかったのを覚えている。

とにかくいつも使っていたくて、家中のものをその秤に載せて重さを測っていた。「これは何グラム?これは何グラム?」と言いながら。

おもちゃの秤なので、測れる重量などたかがしれている。
ちょっと重いものを載せると、あっという間に針は振り切れてしまう。
でもそんなことはちっとも気にならなかった。
とにかく、「重さを測って調べる」という行為自体が楽しかった。

今思えば、物の重さを知りたかったのか、秤を使いたかっただけなのか、その境界線はかなり曖昧だが、子供というものはとにかく何でも知りたがる。
「何で?何で?」と連発して、お母さんを辟易させるという話は、本当によく耳にする。

知的好奇心の原点は、ここにあるような気がする。
一つの物事に対して、何がどうなってそうなるのかを知りたくなるのは、大人も子供も関係ない。

人は大人になるにつれていろいろな経験をし、物事を理解する。
そして、日常のありふれた景色には、もう好奇心を感じなくなる。
「常識だから」
それだけの理由で、全て説明がついてしまうからである。

知らないことを知ろうとすることは、かなりの労力を要する。
人に聞く、本を読む、インターネットで調べる。それでも納得できなければ、自分で体験してみる。
それほどまでに時間と労力を使って得た答えが、自分にとって価値があるものかどうかについては、何の保証もない。

だからさらっと受け流す。
「なんだろう?」と思っても、「まあいいか。私には関係ない」で終わらせてしまう。そっちの方が楽だからである。

が、それではやっぱり楽しくない。
好奇心旺盛な人というのは、輝いて見える。
日常の「なぜ?」を見逃さず、周りの人間が予想もできないような答えを導き出す。これは一種の才能と呼べるのかもしれない。
「好奇心」という名の、答えを導き出す才能。

無邪気な子供とは違い、大人にはさまざまな感情が交差している。
羞恥心やプライド、そして時には常識と言われるものに、邪魔をされることもある。

その壁を乗り越えた時に、真の意味での「自分らしさ」というものに到達できるのかもしれない。
私の人生も、好奇心に満ちたものでありたいものである。

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2006年02月13日
 ■  私と仕事

人はなぜ、働くのでしょうか?

お金のため。
生活のため。
自己の成長または自己実現のため。
やりがい。

あるいはその全部?

平たく言うとやりがいとお金。
これが結構重大な要素ではないかと思います。
どちらかが少しくらい欠けても仕事は成立するけれど、まったくゼロだとたぶん無理。

やりがいはとてもあるけれど、収入はゼロ。
これはもう仕事とは呼べません。

では逆は?
収入は高いけれど、やりがいがゼロ。
これは成立するのでしょうか?

たぶんすると思います。

人によっては無理かもしれないけれど、例えば、単調な仕事の中にでもやりがいを見つけられる人、または仕事は収入を得るためと割り切るタイプの人、こういう人たちにとってはあり得る選択です。

では私は?
正直よくわからない。
「収入は高いけれど、やりがいがゼロ」
自分で例を出しておいてなんだけれど、実際にはそんな極端な例があるのかどうかも分からないし、少なくとも私が今まで経験してきた仕事にはありませんでした。

飛びぬけて収入が良い職場にいたこともなければ、心から退屈だと思う仕事をしたこともない。
仕事というものは、どんな職業であっても当然のことながら、良い点・悪い点というものがあります。
それは、自分がどんなに憧れていた職業であっても、です。

某業界で働いている友人がいるのですが、その業界は離職率が高いことで有名です。
その友人が、以前こんなことを言っていました。

「理想に燃えて入社してくる人ほど早く辞めていって、あまりやる気のなさそうな、一見長く続かないかのように見えるタイプほど、辞めずに頑張っている」

その職業に対しての憧れが強ければ強いほど、自分の想像していたものと違った時に、受けるダメージは大きいのかもしれません。
個人の適応能力や人となりにもよるので、一概には言えませんが、理想を求めすぎると挫折しやすくなるのもまた事実。

果たして私にとって、仕事ってなんだろう。
もちろん仕事をしないと生活していけないので、働く理由に含まれているのは当然ですが、それ以外の部分。
つまり、やりがいや自己実現など。

今の仕事に、不満はあります。
だけどそれはこの職場に限ったことではなく、今までもそうだったし、これからたとえ転職したとしても、いくばくかの不満はついて回るものだと思っています。

では満足は?
これももちろんあります。
この仕事をしていて良かったと思う瞬間はたくさんあるし、やりがいを感じてもいます。
ただそれが、ライフワークになり得るのかというと、少々疑問を感じてしまいます。

私にとって仕事とは、自分の全てをかけるべき対象ではありません。
こんなことを書くと誤解を招きそうですが、決して仕事をしたくないと思っているわけではありません。

仕事をしている私も、私という人間を形作っている大切な要素です。
それと同じように仕事以外のことをしている私もまた、大切なのです。
力を注ぎ込む対象を狭めずに、バランスよくありたい。
結果、お互いの質を高めることができれば、何よりだと思います。

力を分散させてしまうと、それぞれのパワーが弱くなってしまうのではないかと、考えないわけではありません。でも、とてつもなく大きなたった一つの成功を手に入れるよりも、小さな成功をたくさん、いえ、ちょっと大きな成功をたくさん手に入れたい。
そう願う私は、やっぱりわがままなのでしょうか。

 

2006年02月09日
 ■  愛を感じるとき

こういうタイトルの本がありましたね。

大韓航空機爆破事件の元工作員である金賢姫の手記、「いま、女として」の続編にあたるエッセイ集。
私は両方とも読んだことがありますが、今日は別にこの本の紹介ではありません(^^;

私が愛を感じるとき。
というのとはちょっと違うのかな?
私には、「ああ、この人のこと好きなんだ」と思う瞬間というのがあります。
恋愛に限ったことではなく、友人や家族、その他私の周りにいる人たちみんなに対する感情です。

例えば誰かが泣いていたとします。
仕事で失敗したのかもしれないし、誰か大切な人を失ってしまったのかもしれません。
その誰かが、自分にとって大切な人だとしたら、みなさんはどう思いますか?

私は、相手と同じ感情を抱いてしまいます。
相手が悲しんでいれば悲しくなるし、相手が悔しく思っていれば私も悔しくなります。
慰めてあげたいとか、力になりたいとはもちろん思うのですが、それよりも強く、きっと相手が感じているであろう気持ちを、私も感じてしまいます。
そんな時ふっと、「私はこの人のことが好きなんだ」って、思います。

でもこれって、本当はあまりよくないことなのかもしれません。
だって、二人ともいっしょに暗くなっていきますから(^^;
どちらかが下がっている時に、どちらかが上げようとするからバランスがうまく取れることがあります。
でも二人とも下がってしまうと、もう上げようがありません(笑

感情って、内から自然に湧いてくるものなので、それを無理に捻じ曲げようとすると、絶対に後からしわ寄せが来ます。
だから私はこれでいいって、思っています。
表向きはそんなことはおくびにも出さなくても、本当はあなたと同じ気持ちでいるのよって、そう、思っています。
たぶん伝わってないけど(笑

自分の思っている気持ちを、相手に素直に伝えることができれば、世の中の人間関係ってもっとシンプルになるような気がします。
これができないから、なんだかややこしいことになってしまうんですよね。

嫌いな人に嫌いだと言うよりも、好きな人に好きだと言う方が数倍難しい。
昔どこかで目にしたフレーズですが、まさしくその通りです。

昨日、とある光景を目にして、ふとそんなことを考えてしまいました。

 

2006年02月06日
 ■  アクションとリアクション

アクション:動作、行動
リアクション:反動、反応
(goo辞書より)

この2つの言葉が対極にあるということを、ついこの間まで気がつきませんでした。
アクションもリアクションも英単語ではあるけれど、ほとんど日本語として浸透していますし、日常生活の中でもよく使われているのではないでしょうか。

「安心⇔心配」や「晴天⇔雨天」などの日本語の反対語だとすぐにわかるのですが、それがカタカナになってしまうと、なぜか一気に分からなくなってしまいます。

そもそもこの「アクションとリアクション」という言葉、昨日の朝フジテレビの「報道2001」で、竹村健一さんが言っていたのが耳に飛び込んできたのです。

「リアクションではなく、アクションを」

それまでの竹村さんのお話はまったく聞いていませんでしたが(笑、
なぜかこの言葉だけ私の耳に届きました。

アクションは自発的、リアクションは受身。
自分で考えてアクションを起こすのに対して、リアクションとは誰かが起こしたアクションに反応することです。
アクションを起こすばかりでは疲れるし、リアクションばかりだとつまらない。
やはりどんなことでもそうですが、バランスが大切です。

最近、やりたいことがたくさんあります。
やりたいことがたくさんありすぎると、もう考えるだけで精一杯になってしまい、結局何も実行できない、なんてことが今まではよくありました。

でも自分から行動をおこさないと何も始まらないし、せっかくやりたいことがあるのに、それを頭の中で考えているだけでは何よりもったいないと思うのです。

だから今年はアクティブに。
1度に全部は無理だけど、少しずつ形にしていければいいなと思っています。

リアクションではなく、アクションを。
いい言葉ですね。

 

2006年01月31日
 ■  実現するチカラ

これ、今の私の最大のテーマです。

世の中には本当にさまざな情報が溢れています。
価値があるもの、そうでないもの。
必然的に私達は、それを見極める能力を求められます。

分からないこと・知りたいことは、インターネットで検索をすればいつでも知ることができますが、
果たしてその答えが正しいのかどうかは、何をもって判断すればいいのでしょうか。

以前、私の担当する生徒さんに言われたことがあります。
「エクセルの計算結果が正しいということを、どうやって確かめればいいの?」
う~む。
答えに詰まりました(^^;

本当に確かめたかったら、電卓を使って計算するしかないのですが、
今度は電卓の計算結果が正しいのかどうかわからないということになって、
最後に行き着くところは暗算です(笑
結局自分で計算して、自分の目で確認するというところでしょうか。

世に溢れる情報もこれと同じ(かどうかは分かりませんが)で、
インターネットだけではなくて、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、その他あらゆるマスメディアから与えられる情報を吟味し、
その中から何を選び、何を選ばないかを自分で決めなければなりません。
これだけ情報が氾濫していると、情報に踊らされずにいることは、決して簡単なことではありません。

私は、仕事やサイト運営、その他日常生活全般に行き詰まりを感じたとき、
どこかに答えはないものか、ネットや本で情報を探してしまいます。
もちろん明確な答えは得られません。
ですが、ヒントは見つかりますし、自分にも応用できそうな事例がみつかったりします。

そしてここからが問題。
情報は、いくら頭に詰め込んでも、それを活用しなければ意味がないということ。
活用とはすなわち、自分のライフスタイルや仕事に当てはめて実践するということです。

この実践力がないと、いくらすばらしい情報を持っていても宝の持ちぐされ。
持っていないのと同じことです。

だからいくらヒントが見つかっても、それを使わなければ結局忘れていってしまい、
同じ場所で何度もつまづいてしまうという事にもなりかねません。

私はよく本を読みます。
小説・エッセイ・哲学書・ノンフィクション・ビジネス書。
本当にありとあらゆる種類の本を読みますが、最近ちょっと思うことがあります。
それは、本の中には、読む過程を楽しむための本と、読み終わった後が大切な本の2種類があるような気がするということ。

今の私は、両方ともを、読む過程を楽しんでいます。
一人の著者の一つの意見として読むのであれば、別にそれでも構わないと思います。
ですが、仕事に生かしたい、生活に活用したいと思っているときはそれではダメなのです。

情報を得るだけで満足するのではなく、実践力を培う。
これが今の私の、最大のテーマです。

 

2006年01月28日
 ■  シュミレーション

私は、シュミレーションをするのが大好きです。

シュミレーションなのか妄想なのか、その境界線はかなり微妙ですが、
とにかくいろんな出来事を、あらゆる角度から思い描くのが大好きです。

ついこの間は、一人暮らしを始める時に、家電製品や部屋の家具を全て無印良品で揃えたらいったいいくらになるのか、シュミレーションしたばかりです。
決して暇なわけではないですよ(笑
でも金額を全てエクセルに入力して保存しているあたり、やっぱり暇なのかもしれません(^^;

現実問題として、経済的に絶対に無理なので時間の無駄かもしれませんが、
モチベーションを維持できるし、何より楽しいのでやっぱりやめられません。

就職の面接や大切な仕事などでも、自分が成功しているところをイメージすると、
事がうまく運びやすいとよく言われていますよね。
私としては、それとまったく同じ考えでこういったシュミレーションをしているのですが、
よく考えてみると、やっぱり少しずれているのかも(笑

でもいくら念入りにシュミレーションしたからといって、必ずしもその通りに物事は運ぶかというと、そうでもないわけです。
特に人が絡んでいる場合、相手がどう出るかなんて事は予測不可能です。
そこが、人と関わることのおもしろさであり、難しさでもあるわけですけどね。

それと、ついついやってしまうのが、失敗シュミレーション。
まだ起こってもいない出来事を、あれこれ考えては一人で沈んでいってしまいます(^^;
これ私の悪い癖なんですけどね・・・。

そのほとんどが取り越し苦労に終わるということに気が付いてからは、
なるべく考えないようにはしているのですが、無意識のうちにやっちゃってます。

失敗した時の対処法を考えるよりも、どうやったらうまくいくかを考えた方が建設的ですし、絶対に楽しい。
それが分かっているので、暗~いことを考えてしまう時は、もう無理矢理思考を切り替えています。

シュミレーションもやり過ぎると、考えすぎて行動に移せないなんてこともありますが、
それでも、何かをやり遂げたいと思っているときには、必要不可欠な作業です。
できるだけ前向きに、楽しみながら続けていきたいと思っています(^^;

 

2006年01月26日
 ■  眠気と食欲

春眠、暁を覚えずと言いますが、春にはまだ遠いですよね・・・。

なんだか最近、ものすごく眠いです。
お風呂の中で眠りそうになったり、ブログを書きながら眠ってしまったり(^^;

このことわざの大意は、
「春の夜は寝心地が良いので、朝なかなか目覚めない」
ということなので、私の場合少し意味は違うのですが、とにかく眠い(笑

私の生活パターンは、日によって若干の違いはありますが、
夜12時就寝、朝6時起床。
約6時間の睡眠です。
睡眠時間が多いのか少ないのかはよくわかりませんが、私にとってはこれがベストの状態です。

さすがに休みの日はもう少し遅くまで眠っていますが、
休みだからといってだらだらとお昼まで眠ったりしていると、その日1日だらだらと終わってしまうので、
なるべく早い時間に起きるようにしています。
それになんだかお昼まで寝ていると、せっかくの休日の半分を睡眠に費やしてしまって、
なんだか損した気分で嫌なんです(笑

最近眠気のピークに襲われるのが、仕事から帰ってきてほっと一息ついている時と、昼食の後。
私の場合、常に立って歩き回っている仕事なので、眠らずにすんでいますが、
1日中座っているような仕事だと、完全に眠りに落ちていますね、私(笑

この眠気とともに私の中にやってきたのが、食欲です。
毎年冬になると、やたらお菓子が食べたくなります(^^;
基本的にストイックな要素がゼロの私は、これで毎年冬になると太ってしまいます。
気温の上昇と共に食欲が落ちていき、夏になるとまた痩せるということの繰り返し。
冬と夏の体重差は3kg~5kgくらいです。

冬に蓄積された体重は、夏になるといつのまにかなくなっているので、
いいと言えばいいのですが、悪いと言えば悪い(笑
いや、やっぱり悪いですね。この状態は(^^;

私ね、痩せています。
こんなことを書くと自慢しているようにとられるかもしれませんが、
「痩せている=美しい」というのは、絶対に間違っています。
程よく豊かな、女らしい体型にかなり憧れを抱いています。

毎年健康診断では、もっと太ってくださいと言われるし、洋服のサイズも合わないし。
いろいろ悩みは尽きないのです。

だから、太るのは別に構わないのです。
構わないのですが、でも、ねぇ。
「なんでこんなところに肉が付くの?」
っていうところに肉が付くんですよ(笑

よく、「いくら食べても太らない身体がほしい」という言葉を聞きますが、
私の場合、「好きなところに肉が付けられる身体がほしい」です・・・。

ちなみに、肥満度を表すBMIという数値がありますが、こちらで計算できます。
右のイラストが、数値によって太ったり痩せたりするのが、結構笑えます。
私の結果は、17でした。
平均が22ですから、痩せすぎです。明らかに。
あぁ。肉が欲しい。部分的に(笑
今のこの食欲が、私の希望する部分だけに集中して栄養を運んでくれるように願っています。
まぁ無理だろうな・・・・

 

2006年01月19日
 ■  言葉

言葉の威力というものは、時に偉大なものです。

言葉:人の発する音声のまとまりで、その社会に認められた意味を持っているもの。感情や思想が、音声または文字によって表現されたもの。言語。(goo辞書より)

使い方を誤ると、人を傷つけ、それは自分にも跳ね返ってきます。
悪意を持って発せられた言葉は、必ず自分の元に戻ってくるものなのです。

物には言い方というものがあります。
同じことを伝えようとしても、言葉一つで相手に与える感情はさまざまで、
自分の意思よりも、相手の精神状態に大きく左右されるものです。
それが言葉の難しさ、裏を返せば魅力とも言えるのかもしれません。

言葉というのは、コミュニケーションツールのひとつです。
「言葉がなくても解り合える」のかもしれませんが、
時には、言葉を発しないと伝えられない思いもあります。

実際にヒトがいつから言葉を話すようになったのかは、推測の域を出ませんが、
仲間に自分の意思を伝える時に、言語を発するという手段が使えないと、非常に不便です。
よって、その必然性から、言葉というものが生まれたのではないかと、密かに思っているわけですが。

後になって冷静に考えてみると、
「なんであんなこと言っちゃったんだろう~」と思うことがよくありますが、
言った当初は自分を抑えきれる状態ではなく、思わず口をついて出てしまうんですね。
自分で自分をコントロールできないもどかしさって、かなりの自己嫌悪を引き起こします。

悪意のない一言に傷ついてしまった時、
「もっと他に言い方ってものがあるでしょう」と思ったとき、
私は、反面教師だと思うことにしています。

こんな言葉や、こんな言い方をすれば、相手はきっと嫌な気持ちになる。
それを覚えておくことによって、自分の発言をコントロールするようにしています。

ですが、嫌な言葉を発する時というのは、大体において自分も嫌な気持ちでいるわけで。
そんな時は理性なんてものは吹っ飛んでしまっているので、そんなことを考える余裕すらないのですが^^;

言葉によって傷つけられて、言葉によって癒される。
使い方次第で、善にも悪にもなり得る、結構強力な存在。

私はきっとこの先ずっと、話上手と言われることはないと思いますが、
不器用は不器用なりに、なんとか自分の意思を言葉にしていくしかありません。
世間の話下手のみなさん、いっしょに頑張りましょう^^;

 

2006年01月04日
 ■  文章力

文章力を磨くために、最近いろいろやっています。

初心に戻って日本語を勉強してみようかと、ある1冊の本を読みました。
ちょうど今日読み終わったところなのですが、森脇逸男さんが書かれた書く技術―なにを、どう文章にするかという本です。

文章の組み立て方や正しい日本語の記述、表現力や文章の上達方法などが例文を踏まえて書いてあるので、すごくわかりやすかったです。
文中、「主語」「述語」「修飾語」なんていう言葉がかなり頻繁に出てくるので、
国語を勉強する学生に戻ったような気分でしたが(笑

でも、今まで何の疑いもなく使っていた言い回しが、実は誤った日本語だったことが分かって新たな発見があったり、仕事上でも役に立ちそうな、「尊敬語」と「謙譲語」の違いが書いてあったりと、かなり勉強になりました。
結構難しいんですよね。尊敬語と謙譲語の違いって・・・。

私が文章を組み立てる時に一番頭を悩ませるのが、文章の始まりと終わりです。
出だしの1行が決まると、途中はすんなり書けるのですが、最後の締めくくりでかなり悩みます。
書けるときはすんなり書けるのですが、書けないと最後の1行に30分くらい頭を悩ませてしまう場合もあります。

個人のブログで、そこまで真剣に頭を悩ませる必要はないのかもしれませんが、
最近「書く」ということへの考え方がちょっと変わってきました。
基本的にこのブログは、私の日常をつづった、極めて個人的な日記のようなものです。
ですが、読んでくださる方がいる以上、私の思っていることがありのままに伝わるような場所にしたいのです。

もちろん十人十色、皆考え方は違うので、全ての人に共感してもらいたいと思っているわけではありません。
ただ、私の文章力が足りないがために、与える必要のない誤解を与えてしまうことは避けたいのです。
私の書く文章を読んで、不愉快な思いをする人がいなければいいなと、そう思っています。

この本の最後のあとがきを読んで、印象に残った1文があります。
それは、
「文章には、人間と同じように、幸せな文章と不幸な文章があります」というもの。

真実を述べた文章、読み手に、書いた人の真意が素直に伝わってくるものが幸せな文章で、
逆に、他人を欺き、偽りの自分を示すための文章、真実ではないと分かっていながら書かれた文章が不幸な文章だと、著者は言っています。

ついつい人に良く思われようと、自分を飾ってしまいそうになることもありますが、
嘘偽りのない、ありのままの自分で、これからも幸せな文章を書いていきたいと思っています。


 

2005年12月28日
 ■  ワインとチーズと反省会

wine.jpg

本日仕事収めだった私。
チーズと白ワイン片手に、この1年を振り返ってみました。

このチーズ、るぅさんのブログでキャンペーンをしていることを知り、
速攻で応募して、無事ゲットすることができました(^^)
チーズといえばワイン、ということで白ワインを調達して、現在1人でまったりと飲んでいます。
普段家でお酒を飲む習慣があまりないので、ワイングラスなんかも置いていなくて、
似たような形のグラスで代用してみました(^^;
ちょっと微妙ですが、そこはご愛嬌ということで(笑

さて、私は明日から年末年始のお休みに入ります。
本当は明日まで仕事だったのですが、12月初旬に休日出勤したので、
明日は振替休日とさせていただきました。
今年の仕事ももう終わり、ちょうどいい機会なので、ちょっと2005年を振り返ってみました。

今年1年。
みなさまはどんな年でしたか?
私は・・・なんだか良いことも悪いことも全部ひっくるめて、いろいろなことがあった1年でした。
ずっと決断できなかった事があったのですが、なんとか自分なりに答えが出せて、
新しい1歩を踏み出す準備も万端です。

ただひとつ言えることは、なんだか一生懸命だったなぁということ。
来年からは、もう少しスピードをダウンしてみようと思います。
だってスローライフだし(笑

もともと私は自分で自分を追い詰める性格で、欠点を直そうと、自分の悪い所にばかり目をやっていたような気がします。
それは悪いことではないし、自分が成長できればそれでいいとは思うのですが、
来年からはちょっと志向を変えて(?)みようと思います。

いわゆる逆転の発想です。
そんなに大げさに宣言するほどのことでもないのですが、悪いところを直そうとするのではなくて、
自分の良いところや強みを伸ばす方向に努力してみようかと思っています。

詳細はヒミツです(笑
だって、「私にはこんな良いところがある」なんて、とてもじゃないけれど恥ずかしくて言えません(^^;

人が努力する方向って、この2種類だと思います。
短所を直すか、長所を伸ばすか。
もちろん両方できれば言うことはないのですが、あまり欲張らずひとつずつ順番にやっていこうと思います。

なんだか最近、やりたいことがたくさん出てきて困っています(^^;
嬉しい悲鳴なのですが、一気に全部に手を出してしまうと、
全部中途半端に終わってしまいそうなので、これもやっぱりひとつずつ順番に。

頭の中で、あれもやりたいこれもやりたいと思っていると、パンクしてしまいそうなので、
仕事、趣味、プライベートの3種類に分けて、それぞれ計画を立ててみました。

仕事とプライベートは秘密にさせてください(笑
残る趣味ですが、来年絶対やりたいこと、それはアロマとヨガです。
アロマって、アロマキャンドルとかは好きでよく使っているのですが、
アロマオイルとかポットの類はまったく持っていませんし、知識もありません。
ヨガにいたっては、まったく未知の世界です(^^;

前々から興味はあったので、来年こそはチャレンジしてみようと思っています。
ってことは、結局私が求めているものは癒し?
意外な結末が見えて来ましたが(笑、来年も自分にとって、心地よい充実した日々が過ごせればいいなぁ。

何はともあれ、目標、目標とあまり頑張りすぎず、適度に力を抜いて、日々を大切に過ごしていきたいと思います。
みなさんは来年の目標、もう立てましたか?

 

2005年12月18日
 ■  活汁麺屋

本日のエントリーのタイトル、「活汁麺屋」。
「いけめんや」と読みます。

別にイケメンを売っているお店ではありません。
ホストクラブでもありません。

友人の家の近くに最近できた、ラーメン屋さんの名前です。
行ったことがないのでわかりませんが、店員さんがイケメンなのでしょうか?
一度行って確認したくて仕方ありません(笑
店名をつけた人は、それを狙ってつけたのでしょうか・・・。
もしそうだとすると、まさしく私は「思うツボ」なのですが。

当て字の文化って、日本独特のものですよね。
それとも中国語にも当て字ってあったりするのでしょうか。
そういえば「素敵」という漢字、当て字だということを知ってました?
私はワードを使い始めてから初めて知りました。

ワードで「素敵」という文字を入力すると、文字の下に緑色の波線が付いて、
「当て字ですよ」って、教えてくれるんですよね。
すごく便利な機能なんですか、時々うっとおしいです。
「もう放っておいてよ!」と言いたくなります(笑

話がそれました(^^;

当て字って、いろんなところで使われています。
お店の名前なんかもそうですが、人の名前や地名などにも。
地名も当て字っていうのでしょうかね?
どう考えても普通には読めない地名って、たくさんありますよね。

私は広島在住なので、広島県の地名をご紹介します。
東雲、御調、己斐、桐原、小鳥原。
さて、いつく読めました?
全部読めたあなたは、立派な広島県民です(笑

ちなみに私は、最後の2つは読めませんでした。
解答はこちら→http://www2u.biglobe.ne.jp/~kenhome/hiroshima.html

漢字って難しいですね。
私は昔から本を読むことがすきなので、漢字を読むことは不得手ではないのですが、
書こうと思うと、なかなか書けなかったりします。
パソコンを使うようになってから、よいいっそうそれが顕著になってきました。
単に私のもの覚えが悪いだけの話かもしれませんが・・・。

キーボードで入力して変換すれば、漢字が出てくる。
すごく便利なパソコンですが、パソコンに頼りっぱなしにならずに、
私ももう一度、漢字を勉強し直した方が良いのかもしれません(^^;

 

2005年12月11日
 ■  カキオコ

突然ですが問題です。
「カキオコ」ってなんでしょう?

答え。
「牡蠣入りお好み焼き」です(笑

今日は休日出勤だったのですが、通勤電車の中吊り広告にこの「カキオコ」の文字が。
よくよく見てみると、JR西日本が企画している日帰りツアーの広告でした。

広島と言えば牡蠣。
そしてお好み焼き。
この二つを組み合わせたものが「カキオコ」だそうです。
これ、今日初めて聞いた言葉なのですが、JRが作った略語なのでしょうか?

ちなみにカキオコツアーの詳細はこちら
JR往復運賃+カキオコお食事券+お買い物引換券で、このお値段。
結構お得かも。

と、思ったんだけど、よく考えたら私牡蠣食べれませんでした(^^;
残念!

そういえばお好み焼きといえば、広島風と関西風がありますよね。
私は、広島生まれの広島育ちですが、子供の頃母親が作ってくれるお好み焼きは、
普通に関西風でした(笑
大人になって初めて広島風のお好み焼きを食べた時は、結構驚きでした(^^;

うちの母も広島生まれの広島育ちなのに、どうして作るお好み焼きは関西風なのか、
以前一度聞いてみたのですが、
「広島風だと、焼そば食べてるみたいだから」
だそうです。

確かにそうかもしれない(笑
私も実は母にすり込まれたせいか、関西風のお好み焼きの方が好きだったりします。
でも「カキオコ」は食べられません(^^;

牡蠣好きな方でお近くにお住まいの方、「カキオコツアー」いかがでしょうか?
ぜひ感想を聞かせていただきたいです(^^)

 

2005年12月10日
 ■  疲れの種類

「疲れた」という言葉。
普段何気なく使っていますが、疲れにも種類があります。

まずは、「激しい運動をした」、「長時間歩き続けた」などの、体力的な疲れ。
そして、「対人関係」、「何かつらい出来事があった」などが原因となる、精神的な疲れ。
さらに、この2つが組み合わさってやってくるWパンチ(笑

疲れって、私たちの生活にとって無縁ではいられませんよね。
仕事だけではなく、どんなに楽しい旅行だって、帰ってきた時はやっぱり疲れています。

でもこの疲れって、精神的に疲れた時の方がつらくありませんか?
体力的な疲れって、眠ったり、ゆっくり休んだりすることによって緩和されますが、
精神的な疲れを癒すのって、本当に難しい。

そしてやっぱり心と体はつながっていて、心が疲れていると、体も疲れやすくなる。
私はそう感じています。

私にもやっぱり、朝から気分が落ち込み気味の日なんかもあって、
そんな時は、同じように仕事をして帰宅しても、いつもよりもどっと疲れています。

逆に、朝からなんだかパワーに満ち溢れている時は、
仕事から帰ってきた後確かに疲れてはいるのですが、とても心地よい、“充実した疲れ”といった感じです。

でもこの「精神的な疲れ」って、自分ではコントロールできないんですよね。
外から来るものはもちろん、自分の内面からくる疲れも、
いくら気の持ちようとは言っても、落ち込んでしまったらもう、落ち込みっぱなしです(笑

ただひとつ言えるのは、仕事にしろ日常生活にしろ、オーバーワーク気味になっている時に、
私は憂鬱になります。
環境がそれぞれ違うので、全ての人に当てはまるとは限りませんが、
少なくとも私はそんな気がしています。

やっぱり人間、限られた時間の中でできることには、限界があります。
そこにめいっぱいいろんな用事を詰め込もうとすると、私は壊れてしまいます(^^;
できる限り自分のペースで物事を進めるようにはしているのですが、
それが仕事とかになっちゃうと、そうも行かなくなってしまうんですよね・・・。

とりあえずの今の私の課題は、自分のペースでできることと、そうでないこととの折り合いを付けることでしょうか。
全てにおいて自分の意志を通すことはできませんので、優先順位を自分で付けて、
なんとか壊れないようにしたいと思います(笑

「忙しい」「忙しい」といつも言っている様な人には、できればなりたくありませんから・・・

 

2005年12月02日
 ■  パワーの源

私のパワーの源ってなんだろう。
ちょっと考えてみました。

例えば、「夢を叶えるため」だったり、「支えてくれる人がいること」だったりすると思うのですが、
私の場合は、ちょっと違うような気がします。
もちろん上のふたつも当てはまるのですが、一番の源はこれ。

「今のこの状況を乗り越えたら、見えてくるはずの未来」

厳しい状況に置かれた時に、無意識のうちに思っていることです。
これを乗り越えたら、こうなれる。
今を頑張ったら、こんな未来が待っている。
そんな風に思っています。

カティさんのブログに書いてあった言葉。
一部抜粋させていただきます。

こうやって、1個ずつ「不安材料」って言うのは
無くなっていくんだろうなって思った。
いっぱいある不安も、私の頑張らなくちゃいけない
パワー燃料です。

28歳でひとつの決断を下したカティさん。
不安をパワーに変えていけるカティさんはすごい!
素直にそう思います。

不安ってそのほとんどが、「わからない」というところに原因があると思います。

「今の仕事をずっと続けていっていいのかどうかわからない」
「恋人とこのまま付き合っていっていいのかどうかわからない」
「将来の自分が、どうしたいのかわからない」etc・・・

これがあるから、みんな悩むんですよね。
でも自分の進む道を決めないと、不安は解消されないし、ずるずると悩み続けていくことになってしまいます。

何かを決断する時に指標にすることのひとつに、「後悔しないように」という気持ちが必ずあると思います。
後悔って2種類あります。
「あの時やっておけばよかった」という後悔と、「あの時やらなければよかった」という後悔。

よく、「やらずに後悔するよりも、やって後悔する方が良い」という言葉を耳にします。
これって、正しい場合もあれば、正しくない場合もある。
一見、前向きな言葉に聞こえますが、私は必ずしもそうだとは思いません。

何かを「諦める」という選択をしたからこそ、見えてくるものもあると思うのです。
結局のところ、その時その時で自分にとってベストだと思える道を選択するしかないのです。

私はあまり、大事な決断をする時に人に相談するということをしません。
自分で考えて、悩んで、決断をくだす。
そしてその決断がある程度揺るぎないものになってから、周りの人に話を聞いてもらうという感じです。

なぜかと言うと、ただでさえ不安定な状態の時に人に相談すると、
いかんせん意志の弱いこの私、ふらふらと他の人の意見に従ってしまいそうになるからです(^^;
それでうまくいけばいいのですが、もしもうまくいかなかった時に、
それを自分以外の誰かのせいにしたくないのです。
自分で下した決断ならば、もしうまくいかなくても、仕方ないやって、他の道を進むこともできると思うから。

私は現在30歳、もうすぐ31歳です。
とても、とても微妙な年齢です。
何かを始めるのに、年齢は関係ないとは思います。

でも、10年前にはなんの迷いもなく実行できたことが、
今では、なかなかできなくて、散々悩んだ末に実行するといった感じです。

でもね、諦めたくないんです。
自分を。

夢を追いかけながら、
決して焦らず、
人を妬まず、
そんな風に歩いていけたらいいなって思います。

昔ある人に言われたことがあります。
「もしも10年前に戻れたらやりたいことをやるのにと言って、今は何もしようとしない人は、
たとえ10年前に戻れたとしても、やっぱり何もしない」
グッときました(笑

グッときて、そして私は?と考えました。
悩んだり、迷ったりはするけれど、
ものすごくスローペースではあるけれど、前に進めているのかなって思います。

ネットって不思議です。
会ったことも、お話したこともない人から、
ブログやサイトを通じて力をもらったり、慰められたりしています。
カティさんのサイトに出会えたことで、私もたくさんの力をもらったような気がします。

ということで、カティさんへのエールを送って、この記事を終わりにしたいと思います。
カティさん頑張れ~!!

 

2005年11月29日
 ■  余裕

なんだか忙しくて、いっぱいいっぱいになってしまうことってありませんか?
「落ち着いて、急ぐ」って、結構難しいですよね。

先日、パン屋さんへ行った時の出来事。
ちょうどお昼時ということもあって、レジは長蛇の列でした。
レジが2台。
それぞれに女性の店員さんが一人ずついて、すごいスピードで仕事をさばいていきます。

二人の仕事をこなすスピードはほぼ同じです。
が、対照的だったのはその口調。

ひとりの店員さんは笑顔で、とても穏やかな話し方。
対してもう一人の店員さんは、すごく早口。というか、焦ってる(笑
焦る気持ちはものすごくよく分かります。
たくさんのお客さんが並んでいて、少しでも早くお会計をしてあげないといけないでしょうし、
プレッシャーも感じるでしょう。

でも店員さんが焦ると、私も焦ります(笑
まだお札のお釣りを財布にしまっていないうちに、
小銭を渡そうと待ち構えられるとかなり焦ってしまいます(^^;
コンビニとかでもよくあるんですけど、あれって苦手なんですよね。

と、話を戻しますが、もうひとりの店員さんの方はというと、
仕事をする速度はほぼ同じなのに、その笑顔と穏やかな話し方で、
忙しなさをまったく感じさせません。
あの余裕はちょっとすごいです。

お二人とも、一生懸命仕事をされているので、別に嫌な感じは受けなかったのですが、
笑顔と口調ひとつであんなにこちら側の受け止め方が違うとは思いませんでした。

私も授業中、忙しくていっぱいいっぱいになる時がありますが、
たぶん焦ってる顔してるんだろうなぁと、とても身につまされる出来事でした(笑

 

2005年11月21日
 ■  年賀状

皆さんは年賀状を出す派ですか?それとも出さない派?

私は、学生の頃は欠かさず出していました。
あの頃はパソコンなんてものは持っていなくて、もっぱら手書きでしたが。

もともと絵を描いたりするのは得意ではなかったので、その後だんだん出さなくなり、
しばらくは送ってくれた人にだけ返事を出すという、なんとも感じの悪いことをしていました(笑

それが再び年賀状を書くようになったのは、パソコンを購入して今の会社に就職してから。
パソコンで作って、それにひとこと添えるという形ですね。

日頃まったく交流のない人で、1年に1回年賀状だけの付き合いの人っていませんか?
それくらいなら、もういっそのこと出さない方がいいと言う人と、
たとえ1年に1回でも、年賀状のやり取りを大切にしたいと言う人がいますよね。

どちらも一理あるので、こればっかりは本人の自由です。
私はどちらかと言うと後者で、普段はあまり会うことのない友人などにも毎年出しています。

で、今年ですが。
まだ買ってもいません(^^;

毎年11月の始めくらいからうちの教室では年賀状1色になります。
それが大体12月中旬くらいまで続いて、自分の分を作り始めるのはそれがひと段落してからです。
絵心があれば、自分でイラストとか書いたりしたいのですが、
そっち方面の才能は皆無なので、毎年年賀状素材集のお世話になっています(^^;

一言ずつ添え書きを書いていくのですが、なんだものすご~く時間がかかります。
字、汚いし(笑
こういう時、絵とか字が上手な人って、心から羨ましいです。
下手は下手なりに一生懸命書けばいいかなって、自分で自分を慰めてますけどね(^^;

でもいくらなんでもそろそろ買うだけ買っておかないと売り切れてしまいそうなので、
給料日が来たら買いに行こうと思います(笑
今年はどんなのにしようかな・・・

 

2005年11月16日
 ■  ゴールはどこ?

るぅさんのこの記事を読んで、いろいろと考えるところがあったので、
ちょっと人生について語ってみます(笑

私は昔からそうなのですが、こういう事がしてみたいとか、
あういう風になりたいとかといった、夢や理想があります。
小さなものから大きなものまで、いろいろと目標があるのです。

なので、それに向かって日々努力しています(というか、そのつもり^^;)
この先に何かがあると、やっぱり気持ちに張りが出てきます。
でもやっぱり私にも、完全にやる気なしモードになる時があります。
なんというか、無気力です。

そんな時はあえて私は何もしません。
とは言っても、仕事とか、日常の雑事などがあるので、
やるべきことをやるべき時に、黙々とこなす。
そんな感じです。

時間が経てば、また気力が戻ってくることが分かっているから、
とにかく日々を過ごす。
それだけです。

なんかね、最近思うのですが、夢や目標があるってことはとても素敵なこと。
それに向かってつき進むのもやっぱりとても素敵です。
でも、それだけだと、なんか寂しい。

あれがしたいから、これを我慢する。
こういう風になりたいから、今はこうする。
確かにそれも間違いではないのだけれど、
それだけではなくて、その過程をもっと楽しみたいなって思うんです。

例えていうなら、目的地に向かって歩くだけではなくて、散歩そのものを楽しむ。
たまに寄り道したり、道に迷ってみたり。
結果、遠回りになるかもしれないけれど、それもまた貴重な経験なのではないかと思います。

それに、なんか頑張ってる自分を結構好きだったりしませんか?
私だけかな(笑
落ち込んでいる時も、やる気に満ち溢れている時も、その時の気持ちを大切にしていこうと、私は思います。

人生にゴールはないのです。

 

2005年11月09日
 ■  ものごとのはじまり

朝起きてから一番初めにすることはなんですか?

私の場合、まずパソコンの電源を入れます。
ぼーっとしながら、メールチェックとかしています(笑
でも自分が起きているという認識があまりないので、実際にはその後朝食を食べ終わってから、
今日も1日始まるな~と再確認。

そして出勤。
私の仕事は朝のトイレ掃除から始まります(^^;
だんだん冷え込んできたこの季節、とにかく温まりたいので、かなり無駄な動きをしつつ(笑、
床がはがれるんじゃないかってくらい、力を入れた掃いたり拭いたり。
でもこれで結構温まるんですよ。

で、家に帰って通勤着から部屋着に着替えてから、オフの始まりです。
実際家に帰ってきても、服を着替えないとなんだかくつろげないんですよね。
くつろぐというか、ダラっとするというか(笑

こうして考えてみると、オンからオフ、オフからオンの切り替えって、
意識・無意識に関わらず、何かしらアクションを起こしています。
当たり前と言えば当たり前なのですが、これを意識的に取り入れることも時として必要かもしれません。

例えば、マイナス思考から抜け出せない時とか、ストレスが溜まってると感じる時とか。
何か仕事で嫌なことがあった時とかって、家に帰ってきてからもずっとそのことを考えていたりしますよね。
家に帰って来たからといって、仕事のことはもうおしまいっと、なかなかそう簡単にいってはくれません。

じゃあ何をすればいいのかと聞かれると、答えはないのですが、
私の場合、お風呂に入ったり、友人とどうでもいい話を電話でしたりとかすると、
いい気分転換になったりします。

思考の切り替えって結構難しいですが、意外と簡単なときもあります。
私が単純なだけかもしれませんが、今やっていることと違うことをする。
ただそれだけでも、ストレスが和らいだりするものです。

なんか憂鬱だなぁ~と感じたときには、ぜひ一度試してみてください。

 

投稿者 Naomi : 個別ページ表示
2005年11月07日
 ■  私の好きな小説の話

以前にも何回か書いたことがあるのですが、私の好きな本ランキング上位3位までは、

1位 風と共に去りぬ
2位 赤毛のアン
3位 ワイルドスワン

なのですが、今日は上位2位までについて書きたいと思います。

もともと、フィクションよりもノンフィクションの方が好きなのですが、
たまには読みます。小説も。

最近気が付いたのですが、私が好きで何度も読み返している小説って、
主人公の性格に惹かれている部分が大きいんですよね。
それに、圧倒的に主人公が女性の小説を読むほうが多いです。
男性心理は分かりません。私には(笑

ということで、ちょっとこの「風と共に去りぬ」と「赤毛のアン」のヒロインの性格を、ざっと書いてみます。

まずは、「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ。
わがまま、自由奔放、情熱的、一度こうと決めたら誰に何を言われても、それを貫き通す。
はっきり言って性格悪いです(笑
がしかし、その意志の強さ、ハングリー精神は、欠点を補って余りあると私は思います。

対して「赤毛のアン」のアン・シャーリー。
明るくて、とにかくおしゃべりが大好き。
人一倍感受性が強く、周りの人が言った何気ない一言にすぐに傷ついてしまうような面もあります。
人を自然と惹きつける魅力があり、いつもみんなの人気者。

こんな感じでしょうか。
一見正反対のように見える二人ですが、ひとつだけ共通点があります。
それは、「自分」というものをしっかりと持っているということ。

時には理不尽なことを言われたり、納得できない出来事に遭遇したりして、
それを黙って受け入れることがある反面、
これだけはどうしても譲れないというものがあって、そんな時には徹底的に戦うのです。

時々思うんですよね。
「自分らしさ」って、なんなんだろうって。
「私はこうなのよ!」って、はっきり言えたらいいのだけれど、
自分で自分がよく分からなくなる時があります。
なかなか思っていることが伝えられなくて、出口のない空間の中で、1人で叫んでいるイメージです。

だから余計に、こういうヒロイン達に憧れてしまうのかもしれません。
って、実在の人物ではないのですけどね(^^;

自分の性格って、なかなか客観的に分析できないですよね。
だから苦手なんですよ。面接の自己PRとか。
3分でまとめろとか言われても、そんな簡単にいくもんかい(笑

自分で分析できないからと言って、周りの人に分析されるのもいやなんですよね(^^;
「あなたはこうだから、こうなのよ」とか言われたら、きっと機嫌が悪くなります、私。
もしかして私、わがまま?

と、なんだかとりとめもなく書いてしまいましたが、
とにかく、修行します(笑

風と共に去りぬ (1)
赤毛のアン

 

2005年10月31日
 ■  美人が得に思える時

先日のパーティーの写真を見てふと思ったのですが・・・・

美人ってやっぱり得ですね。
というか、うらやましい。
どの写真を見ても美人は美人です。

会社の後輩で、とてもきれいな女の子がいるのですが、
2年前にその子の結婚式に招待されて、行ってきました。

当然、写真をたくさん撮ったわけですが、
後からプリントアウトしたものを見てみると、どの写真を見てもきれいなんですよね。
ウェディングドレスという条件を差し引いて見ても、
どの写真、どの表情を見ても、美しいです(笑

私なんか大変ですよ。
ちょっと気を抜くと、とんでもない写真のオンパレードです(笑

写真って、後に残りますからね(^^;
自分のカメラで撮影したものだったら、抹消してしまえば済みますが、
他の人のカメラで撮影したものは、もうどうにもなりません。
どんな顔で写っていようが、ご丁寧に全て現像してくださいます。

こういう時、美人っていいなぁなんて、思ってしまうのでした。

そういえば友人に聞いた話ですが、以前友人のお父さんが帰宅後、
家に届いていた宅配便の不在者通知を持って、宅配業者のところまで取りにいったらしいのですが、
その時に身分証明書の提示を求められて、運転免許書を出したらところ、
宅配業者の人が、免許書の写真を見た瞬間、
「プッ」っと吹き出したそうです。

大の大人が、しかもお客さんの写真を見て吹き出してしまうなんて、よっぽどのことです(笑
どんな写真なのかかなり気になるところですが、未だ見せてもらっていません。
う~ん。見たい。

読書のススメも更新しています(10/30)。よかったらこちらもご覧くださいませ。

 

2005年10月22日
 ■  字のきれいな人

字がきれいな人って憧れてしまいます。

先日生徒さんから突然、
「先生、字きれい?」と聞かれました。
そう聞かれてまさか、
「ええ、もう、ものすごくきれいです」とは答えられないので(笑、
「いえ、そんなことないですよ」と答えました。
本当にきれいではないので(^^;

その生徒さん、字が汚いことがコンプレックスで、
のし袋とか、結婚式などの署名も全部人に頼んでやってもらっていたそうです。
でもやっぱり、字がきれいになりたいということで、最近ペン習字を習い始めたとのこと。
私もかなり勧められました。
その方が通っていらっしゃる教室は、はじめの1ヶ月はお試し期間ということで、
何度行っても無料だそうです。

だから、教室が開いている限り、毎日通っても無料なのです。
(毎日は行かないと思いますが・・・)

でも確かに字のきれいな人って、やっぱり憧れます。
履歴書とかを見ても、字がきれいだと、もうそれだけで就職が内定してしまいそうな勢いです(^^;

同じように学校で字の書き方を習ってきて、なんであんなに差が出てしまうんでしょう。
書道を習っていたとか、そういうことなら分かるのですが、
特に習っていたわけでもないのに、とても字がきれいな人っていますよね。

実は私も小学生の頃、書道を習っていました。
幼なじみのTちゃんといっしょに通い始めたのですが、私は1年くらいで挫折。
根気強いTちゃんはなんと、高校卒業まで習い続け、書道の先生になれる資格まで取得しちゃいました。
見事に性格が現れています(笑
やっぱり、「継続は力なり」ですよ。

おっと、話がそれました。
ペン習字。何気に興味があります。
来月あたりから、こっそり通い始めているかもしれません。

 

2005年10月12日
 ■  冷たい人

私の第一印象は、「冷たい人」だそうです(^^;

よく言われるんですよね~。
冷たそうとか、クールとか。

実際そんなこと全然ありませんよ。
もう熱いです。メラメラいってます(笑

でも人が自分のことをどう思うかを、自分でコントロールすることはできないし、
大体において、みんな自分の好きなように思うものですものね。

自分が相手に与える印象は、8割がた第一印象で決まるそうです。
そして、その後の印象を覆すのは、ものすごく労力を使うそうで。

ということは、私って「冷たい人」って周りから思われてるのかしら?
なんかやだなぁ。

知り合って、仲良くなってしばらくしてから大体言われます。
始めは「冷たそう」だったって。
まあでも、そう言ってくれる時点で、もうその印象は消えているということですよね。
本当に冷たいと思っている人に向かって、「あなた冷たいよね」とはなかなかいえませんから(^^;

と、ポジティブシンキングでいこうと思います(笑

でも人の意外性に惹かれたりしませんか?
冷たそうに見える人が、実際すごく優しかったり、
無口だと思っていた人が、めちゃめちゃおもしろかったりすると、
もうクラクラしてしまいます。

逆はダメですけどね。
優しそうに見えて、実は冷たい人とか(笑

人間って多面性の生き物ですから、一概に「冷たい」とか「優しい」とかひとくくりにできるものではありませんが、
内面の深いところが見えてくるまでは、どうしても表面に見えている部分だけに目が行ってしまうものです。

相手のことを知るにつれて不思議なもので、この人とは絶対友達になれないと思っていた人と親友になったり、
気が合うと思っていた人とは疎遠になってしまったりします。

やっぱり深く付き合ってみないと、人ってわかりませんね。
表面だけではなくて、ちゃんと中身を知る努力も必要です。

だから私の周りのみなさん、「冷たそう」なんて思わずに、仲良くしてやってくださいね(笑

読書のススメも更新しました。良かった読んでくださいね~。

 

2005年10月05日
 ■  今までとこれから

ちょっと思うところがあって、私の今までと、これからのことを考えています。

10年前、私は20歳でした。
あの頃何をどう考えていたかなんて、正直よく覚えていないのだけれど、
きっと、10年前を振り返ったり、10年後の未来をちゃんと考えたりなんてことはしていなかったと思う。
なにせ10年前は10歳。小学生ですから(笑

ただひとつ言えるのは、欲しいものを手に入れることしか考えていなかったということ。
自分の望むものを手に入れたら、それだけで幸せになれると思っていた。

でもそれは幻想で、人の欲望は果てしなくて。
たとえ何かを手にしたとしても、手に入れることよりも、
それを大切に守っていくことの方が、はるかに難しいということをいやという程思い知って。

この10年で得たものはたくさんあるけれど、それと同じくらい捨てたものもたくさんある。
本当は手放したくなかったもの、手放さなければ前へ進めなかったもの。
想いはたくさんあるけれど、捨てたという事実は変わらないし、
人は、全てを抱えたままでは歩いていけないから。

そして、今。
これからどの道を進もうか、かなり迷っています。
全てを捨ててリセットして、新しい何かを始めることはかなり勇気がいります。

年齢を言い訳にするつもりはないけれど、フットワークが鈍くなるのもまた事実。
基本的に、私は白か黒かはっきりしたい性格なのですが、
世の中って、グレーゾーンの出来事が多すぎます。
そのグレーゾーンの深みに、今の私は見事にはまっています。

前へ進むためには、捨てなければいけないものがあって、
でもどうしても捨てることができなくて、完全に煮詰まっています。

なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、
私が今一番ほしいのは、「捨てる」勇気です。
どっちにしろ泣くことになるとは思うけれど、後悔の涙にはしたくない。

なんだか思うままにつらつら書いてしまったので、まとめの文章が思い浮かびません^^;
ということで、この辺で。
愚痴っぽくてごめんなさい・・・・

 

2005年09月21日
 ■  人々

1日に会う人の数ってどれくらいなんでしょう・・・。

「会う」っていう言い方はちょっと違うかな?
正確には、「見る」人。

今までに職場や学校で出会ってきた人たちの他に、
電車の中や、道を歩いている時にすれ違う人たちがたくさんいます。
言葉を交わすことは今のところないけれど、
その人たちにそれぞれの人生があって、まったく同じ人生を生きている人はきっと1人もいません。

当たり前のことなんだけど、それってすごいことだな~と、ふと思いました。
人と人が出会って、友人になったり恋人になったり、家族になったり。
これってもう奇跡に近いことなんじゃないかと。

そういう意味では、人と人が出会った瞬間に、お互いの人生に影響を与えているということになります。
良い影響か悪い影響かは別として。
ということは、私も今まで出会って来た人たちに、何らかの形で影響を与えているということなんですよね。
なんだか感慨深いです。
悪影響を与えていないことを、祈るばかりですが(笑

そうそう、出会いといえば、もうすぐ姉に子供が生まれます。
これもひとつの出会いですよね。
どんな赤ちゃんに出会えるのか、今からとっても楽しみです。

 

投稿者 Naomi : 個別ページ表示
2005年09月14日
 ■  自分の呼び方

自分のことを、自分の名前で呼んだことってありますか?

自慢じゃありませんが、私は一度もありません。
よく子供とかが、自分のことを「私ね、」じゃなくて、「なおみね、」とかっていうアレです。

物心ついた時にはすでに、「私」と言っていたので、
今さら恥ずかしくて「なおみ」なんて呼べない気分でした(^^;

さすがに、大人になってからも自分のことを名前で呼んでいると引いてしまいますが、
子供って、そういうのが許されてしまうんですね。

ためしにさっき、「なおみね、」と言ってみたのですが、我ながら気持ち悪い(笑

さて、話は変わってネットの世界。
みなさん、本名ではなくてハンドルネームを付けていると思いますが、
自分のサイトやブログで「私」というところを、名前で呼んで文章を書いている人っていらっしゃいますよね。

あれって、大人なのにまったく違和感がありません。
男性でも、女性でも。
Rinさんも、ブッチャさんもまったくもって自然な感じですし、とても好印象です。

これって、本名ではないからなのでしょうか。
私の場合、このブログのタイトルの下に、説明文をつけているのですが、
そこでは、「管理人Naomiの~」としています。
これならまだ許せるんですよ。自分で自分が(笑

先頭に何か言葉をつけて、「管理人Naomiが」とか、「私Naomiが」、とかならいいのですが、
名前だけになると、どうも許せません。自分で自分が(笑
やっぱりハンドルネームが本名と同じだからなのでしょうか・・・。

う~む。
ハンドルネーム付け間違えたかも。
改名しよっかな。

 

2005年09月13日
 ■  憧れの人

カティさんが素敵な記事を書かれていたので、
トラックバックさせていただきます。

私も子供の頃、憧れているおねえさんがいました。
近所に住んでいるとてもキレイな人で、話しかけられる度に嬉しくて仕方ありませんでした。

臆病者の私は、自分からは話しかけることができず、
いつも話しかけてくれるのを待っていたような気がします。

子供の頃の私は、自分の容姿にかなりコンプレックスを持っていました。
きっと私には、一生恋人なんてできないんだろうなと、本気で思っていたほど。

あの頃の私は、外見の美しさが全てだと思っていたんでしょうね。
そんな私も、月日が過ぎ年齢を重ねていくうちに、たくさんの輝いている女性達に出会いました。
年齢も環境もさまざま。
そんな彼女達に共通しているのは、みんな心に「何か」を持っていること。

こういう夢があるからとか、こんな考え方だからとか、
そんな単純なことではないのです。
「何か」って何?と聞かれると、うまく答えられません。

もちろんいろんなことを抱えているとは思います。
人間ですから、マイナスの感情を持っていたり、悩みだってあるでしょう。
でもそういうことを全部プラスに変えていけるような、そんな強さを持っているような気がします。

人の内面って、自分で思っているより外に出ているものです。
雰囲気とか、表情とかに。
外見の美しさって、メイクや髪型なんかである程度はごまかせますが、
内面の美しさは、ごまかしがききません。
そういう意味では、やっぱり内面の美しさにはかなわない。

私にも、「自分のなりたい自分」という理想像があります。
外見を磨くことも大切ですが、「内面からにじみ出る美しさ」、
そんな美しさを持った女性に、私はなりたいです。

 

2005年09月10日
 ■  選択肢

人って、苦しいことや悲しいことに出会ったときに、
どういう対応をするかを、自分で選択することができます。

簡単に選ぶことができないから、悩みは大きくなるわけで。
いっそのこと、そんな選択肢なんてない方が楽なのにって思う。
だけど、これってやっぱり逃げてるってことなんでしょうか。

詳しくは書けませんが、今あることで悩んでいます。
選択肢がいくつかあって、解決する方法がないわけでもなく、
それでも決断できずに、思考の迷路から抜け出せません。

私が考えた選択肢は3つ。

(1)自分からはあえて何もせず、成り行きにまかせる
(2)この際全てを壊して、もう1度始めからやり直す
(3)目の前にあることをただ受け入れて、気持ちを切り替える

とりあえず今は何も行動を起こしていないので、(1)の状態です。
(2)だと自分が一番楽になるとは思うけれど、一番勇気がいること。
(3)は、ただただ難しい・・・。

やっぱり傷つくのは恐いです。
人間ですから。
でもその傷が、結果的には自分を成長させる糧になることも分かっているんです。

だけど、そういうことってその出来事の渦中にある時には、冷静に考えることができない。
過ぎ去って、乗り越えてみて始めて、あの出来事があったから今の自分があるんだと、納得できるわけで。

最近よく思うのですが、自分がどんな状況にある時でも人に優しくできる人って、本当に心から尊敬します。
私なんてもう自分のことだけで精一杯で、とてもそんな余裕がありません。
本当に優しい人って、そういう人のことを言うんだろうなぁ。

はたから見たら、ちっぽけな悩みなのかもしれない。
でも私にとっては、とても大きなことなのです。

いろんな本を読んで、いろんな人の意見を聞いて、いろいろ考えて、
それでも結局答えを出すのは自分。
後から、もっとできることがあったんじゃないかと、そんな風にだけは思いたくないのです。

しばらくはこの迷路から抜け出せそうにありませんが、
ちゃんと考えて、自分なりの答えを出そうと思っています。

 

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2005年09月03日
 ■  記憶力

私ははっきり言って、かなり記憶力悪いです・・・(^^;

子供の頃の想い出は全部、かなり断片的な記憶になっています。
すごく嬉しかったとか、悲しかったとか、そういう気持ちははなんとなく覚えているのですが、
その出来事の背景や経緯など細かい部分になってくると、かなりぼんやりとしています。

よく子供の頃の思い出話をする時に、まるで昨日のことのように細部まで覚えていて、
こと細かく説明してくれる人とかいませんか?
私の周りにもいるんですね。そういう抜群の記憶力を持っている人が。

幼稚園の頃からずっと仲良くしていた幼なじみと話をしていて、
話しているうちに思い出してくるということはよくあるのですが、
それさえもかなりぼんやりとした記憶です。

これ、私の持論なんですが、人の記憶容量って限界があると思うんです。
もちろん人それぞれ覚えていられる量は違いますが、容量が限界に近づいてくると、
きっと記憶があふれ出ないように、自分にとってたいして重要でないことは忘れていってしまう。

いうなれば、1つ新しいことを覚えると、1つ古いことを忘れていく。

あ、なんか書いているうちに悲しくなってきた(^^;
でもね、最近本当にそんな感じです。
私の記憶容量はきっともう限界です(笑)

でもこれが、忘れたくないことを忘れていって、
忘れたいことは絶対忘れられない。

どういう構造してるんでしょうね、人間の脳って。
考え出したらキリがないのでこの辺りでやめておきますが、
なかなかうまくいかないものですね。

あぁ、人って謎だらけ・・・

ちなみに、私が唯一鮮明に覚えている幼少時の記憶。

母親に幼稚園まで送ってもらって、いざ幼稚園の中に入ろうって時に、
幼稚園に行きたくないと言って、門のところで泣き叫んで保母さんと母親を困らせたことです(^^;

 

2005年08月22日
 ■  私のテーマ

人と人が簡単に解り合えないからといって、
解り合おうとすることから、逃げてはいけない。

これ、私の今の最大のテーマです(笑

ミムラさん主演の「ビギナー」というドラマをご存知でしょうか?
2003年10月に放映された、フジテレビ系列のドラマで、大好きでよく見ていました。
その中で、ミムラさん演じる楓由子が言ったセリフです。

自分を語るのがあまり得意ではない私。
言いたいことがうまく伝わらないと、「もういいや」って、諦めてばかりだったんですね。

でもそれってなんか違うな~と思い始めて。
最近では、誰かと何かを話していると、言葉が途切れた瞬間とかに、
このセリフが頭の中を走馬灯のように駆け巡っています(^^;

人って、みんな違って当たり前。
自分の価値観に無理に相手をはめようとするから、軋轢が生じてしまうんですね。
自分と相手は違うんだってことを理解することから、解り合うことって始まるような気がします。

素の自分をさらけだすのって、本当はとても恐いこと。
見栄やプライドが邪魔して、ついつい殻をかぶってみたり。
でもそこから逃げてしまうと、いつまでたっても解り合うことなんてできない。

私には、大切な人がたくさんいます。
解り合いたいと思う人がいる限り、やっぱり逃げてはいけないのだと思うのです。

 

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2005年08月21日
 ■  車で聴く音楽

cassette.jpg


私の車は、カセットテープしか聴けません。

もともと車にはま~ったく興味がないので、私にとってはただの移動の手段でしかなく、もうかれこれ8年程同じ車に乗り続けています。
中古で買った、かなり年季が入ったスターレット。
ちなみにハンドパワーウインドウです(笑)

長距離ドライブなどもほとんどしないので、CDも付いていません。
というか、最近の車はほとんど標準装備ですよね(^^;

最近ではカセットテープに録音するのもなんだか面倒くさく、昔の曲ばかり聴いていました。
でもいい加減飽きてきていた私は、写真のカセットテープからコードが出ている代物を買ってみました。

正式名称は「カーコネクティングパック」、と書いてあります。
ここから伸びているコードを、ポータブルCDやMD、またMP3などに接続すれば、
プレイヤーの中に入っている音楽を車で聴くことができます。

いや~びっくりです。
こんなものがあるなんて知りませんでした(^^;

これ実は、今日のお昼に用事があって電話した会社の同僚に教えてもらいました。
「なんて画期的!」と思った私は速攻で買いにいって、帰りの車の中ではすでに、持参したMP3プレイヤーをつないで音楽を聴いていました(^^v

音質はどうかと言われるとちょっと微妙ですが、
細かいことにはこだわらない、私のようなアバウトな人間にはぴったりです。

しかし、時代の最先端(?)をいっているデジタルミュージックを、
まさか、絶滅寸前のカセットデッキで聴く日がやってくるとは思いませんでした。
アナログも捨てたもんではありません。
いらなくなったからといって、むやみに物を捨てないでおこうと、しみじみ思いました。

ちなみに、私が買ったのはこちらです。

SONY CPA-8

 

2005年08月19日
 ■  傾向と対策

お堅いタイトルをつけてしまいましたが、テーマは恋愛です(笑)
たまには恋バナでもしてみようかと・・・

同じような恋愛ばかり、いつもいつも繰り返してしまう人っていませんか?
私がまさにそうです。
なぜだか、いつも同じパターンにはまってしまいます。

私の場合、基本的に追いかけるよりも追いかけられる方が好きなのですが、
気が付くといつも私が追いかけています(^^;
いろんな恋をたくさん経験するよりも、1人の人をずっと好きでいる傾向が強いので、
「一途だね~」なんてよく言われますが、現実はそんなキレイなものではありません。

私の心の中で繰り広げられているドラマを、全部外に吐き出してしまうときっと、
・・・友達が1人もいなくなります(笑)

誰かを好きになって、アプローチして、念願叶って付き合うことになっても、
その後が続かない・・・。
これ、脱却したいんですけどね。
なかなかうまくいきません。
脱却できないということは、これが私の本質なんでしょうか・・・?

ま、恋愛に答えを求める方が間違っているのかもしれません。

・・・・。
なんだか書いているうちに恥ずかしくなってきちゃいました(^^;
友人も、同僚も見ているこのブログ。
明日になったらこっそりこの記事削除しているかもしれません。

最後にひとつ。
私のたいして多くもない恋愛経験から学んだこと。
なんとな~く始まった恋愛って、なんとな~く終わりませんか?

 

2005年08月09日
 ■  過去・現在・未来

過去は歴史であり、明日は謎であり、今日は贈り物である。

図書館で借りてきて今読んでいる本、ほんとうのあなたに出会う物語に、書いてあった1節です。

人の潜在能力や精神世界について書かれている本なのですが、そんなに小難しくもなく、読みやすいことは読みやすいのですが、一度読んだだけでは、なかなか書かれていること全てを理解するのが難しいです。
でもこの1節だけはかなり印象的で、すんなり心の中に入ってきました。

「人の幸せは今この瞬間の中にしか存在しない」ということが大前提になっていて、
それはもうその通りで、確かな真実なのですが、ついつい私のような小物は、
過去を悔やんだり、未来を心配したりしてしまうんですよね・・・。

「過去は歴史であり、明日は謎であり、今日は贈り物である」

この言葉の意味、履き違えてしまうととんでもないことになります。
いわゆる、今が楽しければそれでいいということではありません。

未来を心配することは無駄ですが、将来を計画することは大切です。
同じように、過去を悔やんでも仕方ありませんが、反省は必要です。
この辺りの線引きが、結構難しかったりするんですけどね(^^;

未来を心配するあまり、今目の前にある幸せに気が付かないのは、とても悲しいことです。
たまには後ろを振り返って後退してもいいので、自分のペースで少しずつでも前に進めたらいいなと、最近思ったりしています。

 

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2005年07月25日
 ■  想い出

私は「おはよう」という言葉が大好きです。
「おはよう」という言葉を私に言ってくれる人が大好きです。
私はその人のいちばんではないけれど、その人は私のいちばんです。

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上の文章、なんだと思います?
私が中学の時の卒業文集に書いた作文です。

さっき久しぶりに読み返してみたのですが、かなり恥ずかしいです^^;
というかですね、私、かなり字が汚いです(笑)

当時好きだった男の子に向けて書いたラブレターなんですが、
いいんですかね。卒業文集にラブレターなんか書いて。

生徒会が中心になって作成している文集で、ほとんど制約がなかったように記憶していますが、
結構みんな好き勝手書いています。
特に女子(笑)←女子なんて言葉、久しぶりに使いました^^;

男子のみなさんは、

「3年間を振り返って」とか、
「3年間の想い出」などというタイトルで、意外にもまじめに書いているのですが、

女子のみなさんは、好きな歌の歌詞だったり、漫画の中に出てくる言葉だったり。
中には、「修学旅行は楽しくなかった」とか、「文化祭がつまらなかった」とか、
もう思いっきり否定形です^^;

当時私たちの間でブームだったもの。

紡木たく
銀色夏生
JUN SKY WALKERS(スペルが正しいかどうかは不明)

「あ~」って思った方、きっと同世代です(笑)

なんかなつかしいです。
私が住んでいる町は、小学校と中学校がひとつずつしかないため、
ほぼ9年間、同じような顔ぶれです。
名前を見れば、当時の顔が浮かんできます。

高校や専門学校だと、同じ学年でも知らない人がいたりするのですが、
さすがに小・中学校の同級生はみんな知っています。
5クラスあったので、当然みんな友達ってわけではありませんけどね。

この卒業文集、なかには捨てちゃった人もいると思います。
でも私はこれが大好きで、なかなか捨てられません。
一番最後に先生からのお祝いの言葉なんかも載っていて、たまに読み返しています。

想い出って、時間が経つにつれて忘れていってしまいますが、
こうして形にして残してあると、またよみがえってきたりするんですよね。
これからもずっと、本棚の片隅に置いておこうと思います。

最後にひとつ、かなり印象に残っているメッセージを。

「人生常に努力」

はい。安田先生、頑張ります(笑)

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2005年07月06日
 ■  心の拠りどころ

ちょっとしたことなのですが・・・

ちょっとしたことなのですが・・・

何かに向かってあとひとふんばりしたい時とか、
いろんな事がうまくいかなくて、くじけそうになった時、
そんな時、みなさんはどうしますか?

頑張れない時は、頑張らない。
それもひとつの方法だと思います。
でも、それでも頑張らないといけない時っていうのが、人生にはあるわけで。

私はそんな時、何かに頼ります。
それは物だったり、人だったり。

別に頼ると言っても、自分がしなければいけないことを、
誰かに代わりにやってもらうとか、そういうことではありません。

例えば携帯ストラップとかで、パワーストーンがついているものがありますよね。
数百円で売られているものなので、本物かどうかは怪しいですが・・・。
ああいうものを買っちゃいます(^^;
別に100%信じているわけではないのですが、ちょっとした心の拠りどころになるのです。

人の場合は、映画だったりドラマだったり、実在の人物だったり。
何かに向かって一生懸命な人を見ていると、なんだか少し元気をもらえます。

誰かに相談するのではなくて、1人で勝手に頼っているだけなんですど、
つかまるものがないと、飛んで行ってしまいそうな時があるんです。

本当は誰かに相談したり、助けてもらったりするべきなのかもしれませんが、
もともと不器用で意地っ張りなこの性格が邪魔して、なかなかうまく言葉になりません。
なんだか歳を重ねれば重ねるほど、パワーアップしてきているような気がしますが(^^;

でも、ほんのちょっとした心の拠りどころを見つけるだけで、
遅々としてではありますが、前に進むことができるようになりました。
結局は、自分のペースで歩いていくしかないんですよね。
私のように、誰かに相談することが苦手な方、ぜひ自分なりの心の拠りどころを見つけてみてください(^^)

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